渡辺利綱大熊町長インタビュー 19日退任、復興へ一丸『誇り』

 
5月に大熊町内で業務を再開した町役場。渡辺氏は「役場の業務再開は一つの節目だった」と振り返る=5日、大熊町役場

 大熊町の渡辺利綱町長(72)=3期=が19日、任期満了で退任する。1期目途中に東日本大震災と東京電力福島第1原発事故が発生、災害対応で指揮を執ったほか、県内の除染で出た汚染土壌などを保管する中間貯蔵施設の町内への建設受け入れを決断した。渡辺氏は退任を前に福島民友新聞社のインタビューに応じ「震災後の日々はかつてない経験だった。いろいろな思いが去来する」と振り返った。

 ―今期限りの引退を決断した理由は。
 「4月に一部地域で避難指示が解除され、大川原地区に新しい役場庁舎が完成した。5月には町内で役場の業務が再開し、一つの節目を迎えた。復興を加速させるために新たなリーダーに託すべき時期だと思い、引退を決めた」

 ―町内に立地する福島第1原発で事故が起きた。
 「人類が経験したことのない未曽有の事故だった。事故に直面し、町民はわらにもすがる思いだった。トップたる町長は、振り返ってはいけない。意識的に希望を持ち、前向きに取り組まなくてはいけなかった。町内には数日で戻れると思っていたが、1号機が水素爆発した時には『これは駄目だ』と思った」

 ―原発事故の教訓は。
 「正確な情報の伝達が何よりも重要だ。事故当時、情報源はテレビ。1日、2日置きでもいいので、東電や国から連絡が欲しかった。『きょうはどんな一日になるのか』と思う連続だった。町内には県原子力災害対策センター(オフサイトセンター)があり、国や県、東京電力と原子力防災訓練を行っていたが、全然役に立たなかった。安全神話に漬かっていた。ベント(排気)がうまくできていればこれほど被害は大きくならなかったと思う。そういう意味では、原発事故は人災だった」

 ―会津若松市に役場ごと避難した。
 「原発事故直後は、不安定だった原発からできるだけ遠く離れなくてはいけなかった。避難生活で病弱な人や健康に不安のある人、病人の対応が大変だった。原発から離れ、医療機関が整っている場所となると、会津若松市が適切だった」

 ―これまでの復興の歩みをどう振り返るか。
 「できなかったことも多くあり、自分の力が足りないこともあった。でも、古里を取り戻すため、職員や議会と一丸となり取り組んできたことは誇りに思う」

 ―今後の町の復興に期待することは。
 「子育てができる環境にならなければいけない。大熊の教育のセールスポイントは何か。幼児教育で環境について学ぶことができるようにするのもいい。地球温暖化や再生可能エネルギー、廃プラスチックなど、世界的に取り組むべき問題もある。環境省の力を借り、幼少期から環境について子どもたちが学び、関心を持つ教育をしたい。人づくりに取り組んでほしい」

 ―退任後に自身が取り組みたいことは何か。
 「新生大熊町が船出し、新たなリーダーが町を引っ張っていく。一町民として見守っていきたい。町内の自宅をリフォームした。農業を真面目に取り組みたいと考えている」

 ―町民や職員へメッセージを。
 「これからは自立への道を模索していかなくてはいけない。自治体は『困った』という町民を最後まで面倒を見るべきだ。これからが真価が問われる。知恵の出しどころだが、町民のための町政が原点だ。将来の世代に自慢できるまちづくりに取り組んでほしい」