【迫る五輪・東京×福島】逆境が心の強さに メダルの宿命と重圧

 
班目秀雄さん(左)、遠藤純男さん

 1920年アントワープ五輪男子マラソンに三浦弥平(伊達市梁川町出身)が出場してから1世紀。夏季五輪に立った福島県内出身者は前回リオデジャネイロ五輪までに50人を超える。憧れの舞台でまばゆい輝きを放ったオリンピアンたちは、あの一瞬に思いをはせながら「東京」を目指す選手にエールを送る。

 「激励会にはマラソンの円谷幸吉さん(須賀川市出身)や重量挙げの大内仁(まさし)さん(郡山市出身)もいた。恩師は喜んでくれたけれど自分はおまけみたいなものだった」。56年前の64年東京五輪の自転車競技に出場した班目(まだらめ)秀雄(75)=白河市出身=は国の威信を懸けた五輪を振り返る。

 日大の3年生だった。自国開催の出場枠で2人乗りのタンデムに出場。世界のスピードについていけず、大会で予選落ちし、あっけなく競技は終わった。「世界の選手たちが目の色を変えてメダルを取りにきていた。今考えると自分は本気でやっているようで、まだまだ競技に対する考えが足りなかった」

 その思いは競輪選手を引退後、班目を指導者の道へと駆り立てた。長男真紀夫(47)=白河実高教=や伏見俊昭(43)=白河市出身=ら五輪選手を輩出。2000年シドニー五輪は代表監督、へッドコーチを務めた04年アテネ五輪ではチームスプリントで銀メダルを獲得した。

 75歳となった今も情熱は衰えず、白河市の自宅近くに設けた練習場「班目道場」や泉崎村のトラック施設で孫ほど年の離れた選手たちを指導する。「あと1人、2人は五輪選手を出したい。スポーツは人に勇気を与える。メダルを取って福島を元気にしてほしい」

 1976年モントリオール五輪柔道男子重量級銅メダルの遠藤純男(すみお)(69)=郡山市出身。「勝つことが宿命づけられていた。金メダル以外はメダルじゃなかった」。84年ロサンゼルス五輪男子柔道金メダリスト山下泰裕の最大のライバルとして数々の名勝負を繰り広げた男にとって、「お家芸」を背負って出場した五輪は単なる憧れの舞台ではなかった。

 前年の世界選手権93キロ超級で優勝。国民の期待を一身に集めながら1回戦で判定負けを喫し、金メダルの夢はついえた。敗者復活戦を勝ち上がり銅メダルを手にしたが、表彰台の上で顔を上げることはできなかった。再起を懸けるはずだった4年後のモスクワ五輪は、旧ソ連のアフガニスタン侵攻への抗議で日本が出場をボイコット。遠藤は五輪での雪辱を果たせぬまま現役を退いた。

 「(五輪で)人生の中でこれ以上ないほどの重圧と苦しみを経験した」と振り返るが、後悔はないという。引退後は指導者、審判員として競技に携わり、アテネ五輪で審判を務める夢も果たした。「苦しい時に必死で生きる経験をする。それは宝だと思う」。逆境を経験して培われた心の強さがその後の人生を豊かにしたという。

 多くの本県関係選手が今、東京五輪・パラリンピックを目指している。その活躍は震災復興の途上にある県内にも勇気を与えてくれるはずだ。今年の夏、どれだけの選手が輝きを放つだろうか。(文中敬称略)