律令国家の山寺か 坂下・高寺山遺跡の土器分析、奈良時代と推定

 
長胴かめ(右端)などを前に説明する村田氏

 会津坂下町の高寺山遺跡から出土した土器の一部が、奈良時代(710―794年)のものと見られることが13日、専門家の調査で分かった。町教委によると、同時代の会津の状況は不明瞭な部分が多く、土器が出土するのも珍しい。専門家は土器の種類などから「遺跡は律令国家の山寺だった可能性が高い」と推察する。

 町教委などによると、土器は炊事や食事の際に利用されたとみられる土師器(はじき)の長胴かめや、須恵器の坏(つき)など。2018(平成30)年から2カ年で実施した町教委の調査で、遺跡中央部の平場から見つかった。

 多賀城跡調査研究所(宮城県)の村田晃一上席主任研究員らが確認し、土器の形状や作り方などから8世紀半ばごろのものと判断した。同遺跡の遺構はこれまで、早くとも平安時代ごろのものと見られていた。

 村田氏によると、遺構から役所や寺院で利用される須恵器が見つかったことなどから、当時の中央政権の影響下にあったことがうかがわれるという。

 村田氏は「会津と越後(新潟県)を結ぶ幹線道路に近く、高所で目立つことから高寺山が選ばれたのではないか。国家が会津を治めるために寺院を建てて、仏教の力を借りながら支配していたとみられる」と指摘する。

 高寺山には日本への仏教公伝(6世紀)と同時期に仏教が伝わったという伝説がある。同遺跡からはこれまで、神社などに安置される「ご神体」とみられる石や、護摩壇なども見つかっている。