菅野飯舘村長今期限り退任へ 6期24年、村職員辞職し選挙の公算

 
今期限りでの退任を表明する菅野氏=6日午後、飯舘村

 飯舘村の菅野典雄村長(73)=6期=は6日、10月26日の任期満了に伴う村長選に立候補せず、今期限りで退任することを表明した。記者会見した菅野氏は「(震災から)ちょうど10年目で区切りがいい。(長泥地区の避難指示解除について)道筋を付けることができた」と退任理由を述べた。

 村長選を巡っては村議で新人の佐藤健太氏(38)が立候補を表明。ほかに、6日に辞職を申し出た村の男性職員が出馬するとみられ、選挙戦となる公算が大きい。

 菅野氏は飯舘村出身。帯広畜産大卒。1996(平成8)年の村長選で初当選した。4期目途中の2011年に震災と原発事故が発生し、村は全村避難を余儀なくされた。17年春の避難指示解除後も、長泥地区だけが帰還困難区域になっている。菅野氏は長泥地区の特定復興再生拠点区域(復興拠点)外について、全面的な除染は行わず、村営の復興公園を整備することで23年春までに一括して避難指示を解除してほしいと国に要望。国は長泥地区の避難指示を解除する仕組みを検討している。

 菅野氏の退任により国の避難指示が出た11市町村のうち、震災時から首長を務めているのは川内村の遠藤雄幸村長のみとなる。

 菅野氏は記者会見で「新しい感覚を持った人に新しい村づくりを進めていってほしい」と強調、後継候補については「どのような考え方を持った人が出るかは現段階で分からない。村民に託すしかないと思っている」とし、明言を避けた。

 村長選ではほかにも立候補を模索する動きがある。

 柔軟な発想、復興尽力 

 6期24年間、飯舘村のかじ取り役を担った菅野典雄村長が今期限りでの退任を表明した。小規模自治体を前面に出したユニークな施策を次々に展開。東京電力福島第1原発事故後も古里再生に向けたアイデアを出し続け、「までい」な姿勢で村復興に尽力してきた。

 「1期ごとに初心に帰り、惰性でやってきたことは一つもない。毎日が決断の連続だった」と振り返る。「平成の大合併」では、近隣市町村が合併を選択する中、自主自立の村づくりを掲げ、合併ではなく自立を選択。女性の海外視察など、当時としては先進的な事業を次々と打ち出した。

 4期目途中の2011(平成23)年に発生した東日本大震災では、全村避難を余儀なくされる中、村のコミュニティー維持を目指し「村から車で1時間以内」の避難を提唱した。村民の約9割が福島市など近隣市町村に避難する結果となり、村と村民の「心の距離」を保つことにつながった。

 17年3月31日の避難指示解除後も、前向きな施策を次々と打ち出した。道の駅の開設のほか、村外からの支援を引き込む「ふるさと住民票」制度の創設、小中一貫の義務教育学校「いいたて希望の里学園」の設置など、柔軟な発想で今後の発展の基礎を築いた。