追い求めた「二大政党」 渡部恒三氏死去、次代へ信念のバトン

 
国会議員として最後の日にも、政権交代可能な二大政党制の重要性などを独特の口調で語っていた渡部氏。「政界のご意見番」として常に報道陣に囲まれていた=2012年11月16日

 政権交代可能な二大政党制を実現する―。23日未明に死去した渡部恒三元衆院副議長は、国民生活を向上させるためには緊張感を持った政治が必要だと信じ、自民党を離党。新生党や新進党の結党に関わり、民主党を含め2度政権を奪取するが、短命に終わった。2012(平成24)年の政界引退後も、後進に大きな影響を与えた渡部氏。昭和と平成の時代に色濃い足跡を残した政治家の信念は、令和の時代に引き継がれていく。

 「自民党を離党したのは間違いではなかった」。増子輝彦参院議員(国民民主、福島選挙区)は、09年に民主党が政権を奪取した際、満面の笑みで語る渡部氏の姿が忘れられない。

 増子氏は、渡部氏の早大の後輩で、県議時代から数えて約40年の交流があった。「巨星落つ。健在なうちにもう一度、政権交代を実現したかった」と言葉を詰まらせた。

 折しも政界は24日、民主党、民進党を経て分裂した野党勢力が再結集に向け、合流新党の設立で合意に至った。無所属グループの交渉を担った玄葉光一郎元外相(衆院福島3区)は「大きな志の達成に向けたラストチャンス。覚悟して向き合う」と力を込めた。

 玄葉氏と渡部氏が最後に会ったのは昨年7月。「遺言と思って聞いてほしいと大事なお願いをされた」と語る。「政治一筋の人。早朝から電話をかけてきて、すぐに政治の話。もっと会いたかった」と悼んだ。

 参院からくら替えし、渡部氏の後継として衆院福島4区から出馬した小熊慎司衆院議員(国民民主、比例東北)が数年前「二大政党の実現へ野党に何が欠けているか」と尋ねたところ、渡部氏は「許すことだ」と答えたという。路線対立から離合集散を繰り返す後輩への戒めを込めてだった。

 小熊氏はもともと渡部氏と争った故伊東正義氏の系譜にあり、渡部氏から後継に指名された時の驚きは胸に刻まれている。「『会津出身から党派を超え、若い人に』と純粋に政治を思って託してくれた」

 金子恵美衆院議員(福島1区)は、17年の衆院選で民進党が分裂し、無所属での出馬を決めた当時を振り返る。「(非自民勢力を結集するため)よく決心したと褒めてもらった。信念を持っているからこそ厳しさの中にも優しさがあった」と述懐した。

 「恒三節」で語られた政治への思いは、政界に広く伝わっている。民主党、民進党代表を務めた前原誠司衆院議員は「民主党代表の時に国対委員長を務めていただき、支えていただいた。民進党代表に就任した時にもすぐにあいさつに伺い、激励していただいた恩人。恒三先生の遺志を継いで頑張りたい」と、政治のバトンをつないでいく決意を語った。