渡部恒三さん死去...愛された「会津弁」 ユーモア交え本質突く

 
連続14回当選、副議長として最長の在任期間を誇る渡部さん。晩年は「平成の水戸黄門」として親しまれた=2013年

 衆院副議長をはじめ数々の要職を歴任しようとも、訥々(とつとつ)とした会津弁は変わらなかった。23日に88歳で死去した渡部恒三さん。ユーモアを交えながらも、物事の本質を突いた発言は「政界のご意見番」「平成の水戸黄門」と評された。県民、国民に愛され続けたその語り口は、多くの人の心にいつまでも残っていく。

 「昭和からの政治史の一ページが終わった。最後まで会津弁に徹した国会議員だった」。元県議の古川洋一郎さん(81)は渡部さんの訃報を惜しんだ。おいでもあり、長年にわたって秘書を務めた前知事の佐藤雄平さん(72)は「気持ちを整理するには、少し時間がかかりそうだ」と悲しみの胸中を明かした。

 「20代で県会、30代で代議士、40代で大臣、50代で天下を狙う」。選挙活動を支えてきた幸楽苑ホールディングスの新井田傳(つたえ)会長(76)は、この言葉に強烈な印象を受けた。「自分にとっても『30代で県内一、40代で東北一、50代で日本一』という生涯の目標になった」。県議の瓜生信一郎さん(71)には衆院副議長当時、「首相にはなれなかったが、大臣は四つやった」と胸を張って話したという。

 「政界のご意見番」として政策を語る時も、ユーモアあふれる講演も、口調は常に会津弁。「笑える話や泣ける話を織り交ぜながら語るから、みんながひかれていった」と瓜生さん。渡部さんを慕った若者の中から瓜生さんをはじめ、多くの県議や首長が誕生した。

 冬は厳しい寒さが続く山あいの田島町(現南会津町)で生まれ、出稼ぎしなくてもいい地域にしたいという強い信念が政治活動の原動力だった。昭和40年代後半、まだまだ砂利道が多い会津地方の全市町村で国政報告会を開き、くまなく住民の声を聞いた。「自分の足で歩き、その場所のことを知らなければならない」と山奥まで行って顔をつき合わせて話をした。瓜生さんは「一度付き合ったら一生付き合いなさい。相手が悪口を言って離れていっても恨まず、自分が悪いと思え。天につばすればいずれ自分に降りかかる」と教えられたという。

 晩年は会津若松市の病院で入院生活を送った渡部さん。最期に立ち会った元磐梯町長の鈴木政英さん(74)には生前、この言葉を伝えるよう繰り返し話していたという。「先輩や友人に恵まれ、本当に幸せだった。思い残すことはない」