【あの日の中合】「美術サロン」予想外の反響...芸術文化発信地

 
美術サロンの思い出を振り返り「時代の流れを感じる」と語る大槻さん

 国内外の巨匠や新進気鋭作家の名作が飾られてきた7階の美術サロン。ほかの売り場と一線を画す落ち着いた雰囲気に包まれる。1979(昭和54)年10月の新装オープンで誕生し、芸術文化の発信地となった。

 「福島は芸術文化が遅れているといわれていた。手探りの中で始まった」。長年にわたり美術サロンを担当した福島市の大槻一夫さん(80)は回顧する。

 県立美術館が開館していなかった当時。美術サロンは民間の画廊では県内最高の設備といわれ、こけら落としの催事として企画されたのが、20世紀を代表する芸術家岡本太郎氏(11~96年)の版画展だった。

 岡本氏は70年大阪万博で太陽の塔を制作し「芸術は爆発だ!」の流行語で誰もが知る存在。催事への出席が決まったが、大槻さんは「岡本氏の作品は抽象画。良さが分かってもらえないのでは」と不安だった。

 それでも、予想は良い意味で覆された。岡本氏は美術サロンを訪れると、芸術に真っ正面から向き合っている姿勢を紹介。作品について語ることはなかったが、招待客の夫婦25組全てが独特な世界観に引き込まれ、版画を購入して帰った。

 美術サロンはその後、本県出身の斎藤清や大山忠作をはじめ、シャガール、ピカソなど幅広い作品を販売してきた。バブル期には価格が1000万円台に高騰した作品も扱った。大槻さんは懐かしい記憶を脳裏に浮かべ「今はモノに執着がなくなり、簡単に作品が売れなくなった。芸術家を支える人も減り、時代の流れを感じる」と寂しげに語る。

 中合で文化活動が根付いた場所は美術サロンだけではない。華道の龍生派県支部は毎年、催事場で生け花展を開催してきた。宍戸路風支部長(64)は「デパートの売り場に並ぶキラキラした洋服やアクセサリーに負けないような作品を制作していた」と振り返る。

 同支部と中合の関係は深く、53年に創立40周年展を開いた記録が残る。2013年には100周年展を盛大に催した。宍戸支部長は「今まで続けてこられたのは中合のおかげ。感謝しかない」と力を込めた。