『野内与吉の功績』広く発信!大玉出身のマチュピチュ初代村長

 
マチュピチュ村にある世界遺産のマチュピチュ遺跡

 大玉村出身で南米ペルーの「空中都市」マチュピチュ村の初代村長を務めた野内与吉(1895~1969年)の顕彰会が25日、発足した。与吉に関する情報や資料を収集し、常設展示場の開設を目指す。新型コロナウイルス感染症の影響で友好都市協定を結ぶ大玉村とマチュピチュ村の相互交流が困難な中、顕彰会が交流促進の起爆剤になろうとしている。

 与吉は1917(大正6)年に移民としてペルーに渡った。マチュピチュ村の観光開発に尽力。村人から慕われ、指導的立場になり、48年に村長に任命された。

 顕彰会は大玉村や本宮、二本松の両市などの与吉の親族やその関係者20人で構成する。設立総会では、野内家と親戚関係にある野内文孝さん(73)が会長に就いた。顕彰会は資料展示のほかに、国際交流や小中学生らに与吉の人生を伝える授業への協力などを検討している。

 文孝さんは「友好のきっかけとなった与吉の功績を知らない人は意外に多い。写真は残っているが詳細な資料は少ない。裏付ける資料をしっかり集め、与吉が歩んだ人生を村の財産として広く発信し、伝えていきたい」とあいさつした。

 与吉の功績が縁となり、マチュピチュ村は2015年、世界で初めて大玉村と友好都市協定を締結。その縁もあり、大玉村は東京五輪・パラリンピックでペルーのホストタウンとなった。

 大玉村内ではペルー原産で美容と健康に効果的とされる雑穀「キヌア」の栽培をはじめ、飲食店でのペルー料理の提供などが始まり、マチュピチュ村を含めたペルーへの関心が高まっていたが、新型コロナにより交流事業は来年に延期になるなど影響を受けていた。

 顕彰会の発足を受け、押山利一大玉村長は「本来なら今年は五輪で交流があった年。この機会に子どもから高齢者までの全村民が、第一の功労者の与吉について理解を深めたい」と活動に期待を寄せた。