【東日本台風1年】避難者 自宅は更地...「どこに住むべきか」

 

 昨年10月の東日本台風(台風19号)上陸から12日で1年となる。各地で河川が氾濫し39人が犠牲(災害関連死含む、福島民友新聞社調べ)となった県内。被害からの復旧、復興は少しずつ前進し始めたが、いまだ避難者は4000人を超える。生活再建はいまも途上だ。

 解体完了7割弱

 市内中心部で1400棟を超える建物が浸水した本宮市。被災住宅の解体作業が進み、被害が集中する市中心部には連日、重機の音が響く。公費解体には住家・非住家合わせて157件の申し込みがあり、このうち7割弱の106件が完了した。原発事故の被災者向けに整備され、台風被災者を受け入れた恵向仮設住宅は最大78世帯が入居していたが、9月末で7世帯までになった。

 解体が大詰めを迎える一方、市内や近隣市町村の借り上げ住宅には105世帯(9月30日現在)が避難する。浸水した地域は空洞化が進み、あの日から1年が近づくにもかかわらず、夜になっても家の明かりはまばらだ。

 「街の景色も変わっていく。ここで生活した思い出は尽きないが、なかなか先は見通せない。これからのことを考えるとどうしても悩んでしまう」。市内の借り上げ住宅で1人暮らしをする女性(73)はそう吐露する。同市にあった自宅は9月末に解体が終わった。しかし更地になった跡地に毎日のように足を運び、「これからどこに住むべきか」と自問自答する日々を送る。

 約50年前、市内で材木会社を代々営んでいた家に嫁いだ。約40年前に建てられた自宅は、材木屋を象徴するように多くの木が使われ、自然のぬくもりを感じられる家だった。夫は昨年1月に他界し、子ども2人は東京で暮らす。1986(昭和61)年に阿武隈川が大規模に氾濫した「8・5水害」に続き、東日本台風の影響で2度目の浸水被害に遭い、苦渋の末、解体を決断した。

 地元から離れ難く

 しかし、今後どこで生活再建を進めるかの決断はできないでいる。「本当はまた自宅のあったこの土地に戻って、昔から付き合いがある人たちの顔を見ながら生活がしたいんだけどね。簡単には決められない」と73歳の女性。東京に住む息子からは「好きなようにしていいが、水害のあった土地に戻るのは...」と言葉を濁された。土地を離れれば、隣近所や長年苦楽を共にした商工会女性部の仲間とのつながりはどうなってしまうのか。73歳の女性は同じように悩む友人らと意見を交わして、今後の生活を模索する。

 「初めて古里を追われたような気持ちになり、1年たってもどういう決断が正しいか、正直まだ分からない。今後の人生を考え、もう少し更地を見ながら自分の気持ちと向き合いたい」。本当の日常を取り戻すには、まだ時間がかかる。

 避難者1851世帯4123人

 東日本台風とその後の大雨によって県内では、9月8日時点の県のまとめで住宅1470棟が全壊、1万2318棟が半壊と判定された。住宅再建はいまも十分に進んでおらず、仮設住宅や借り上げ住宅などで暮らす避難者は1851世帯4123人に上る。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、避難者の支援なども十分にはできない状況が続いている。