【ケーブルカー事故20年】流れた歳月 残る無念...区切り考える遺族

 
犠牲になった中学生が通っていた猪苗代中の校舎。スキー場が近くにあり、競技が盛んだ=猪苗代町

 「息子の死を受け入れられなかった。スキー場で無意識に息子を探したこともありましたよ」。オーストリアで2000(平成12)年11月に起きたケーブルカー火災事故。猪苗代中3年だった佐瀬智寿さん=当時(14)=を亡くした父親の倉寿さん(66)は、20年の歳月を振り返る。

 メーカー主催のスキー合宿に参加し、惨事に巻き込まれた智寿さん。事故の一報を受け、倉寿さんは現地に向かった。「間違いであってほしい」。その思いは届かなかった。

 責任はどこに

 事故はなぜ起きたのか―。現地で始まった刑事裁判。「親として見届ける義務がある」。倉寿さんは現地に何度か足を運んだ。

 事故から3年3カ月がたった04年2月の一審判決では、ケーブルカー内に違法に設置された暖房器具から出火したことなどが認定された。だが「事故は予見不可能」として、運行会社幹部ら16人全員に無罪が言い渡された。検察側はうち8人について控訴したが、05年9月の二審判決も「予見は不可能」として控訴は棄却され、無罪が確定した。

 「オーストリアに正義はないのか」。倉寿さんは憤る。「誰も責任を取らない。そんなことがあるのか」。事故で中学2年の長女=当時(14)=を亡くした男性(63)も同じ思いだ。運行会社関係者からの謝罪の言葉は今もないという。責任を追及するため、海外で民事訴訟も起こしたが、長期化するなど、さまざまなハードルがあり、継続を断念。責任の所在があいまいなままで、男性の心に、もやもやした思いが残った。

 供養の一つ

 遺族たちはいま、それぞれの道を歩んでいる。男性はここ数年、「事故後は避けていた」という東京ドームに野球観戦に行くようになった。事故の1カ月くらい前に家族で観戦に出掛けた場所だ。「いい思い出を思い返しながら生活していくのも、供養の一つかな」

 倉寿さんは今年に入り、自宅にあった智寿さんのスキー道具を整理。たくさんのトロフィーや賞状も物置にしまった。「(形としての)一つの区切りだから」。そうつぶやく。

 新型コロナウイルスが収束すれば10年以上足を運んでいない現場を訪れることを検討している。慰霊施設に行き、線香を上げて家族の写真を置いてきたいという。「(智寿さんに)何て声掛けるかな。そこで感じたことを伝えたいですね」。そう話す瞳に光るものが見えた。

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 オーストリア・カプルンのキッツシュタインホルン山で2000年11月11日、トンネル内を走行中のケーブルカーが炎上、猪苗代中生5人とスキーコーチ1人を含む155人が犠牲になった事故は11日で発生から20年を迎える。被害に遭った県内の6人はいずれも、スキーに打ち込んでいる中で巻き込まれた。遺族や関係者の20年間を振り返る。