【ケーブルカー事故20年】奪われた未来 期待の福島県強化選手

 
佐瀬さんの自宅には大会で1位になった賞状が飾られている=猪苗代町

 スキーウエアを着て写真に納まる親子。2人の手に賞状やトロフィーが握られている。「小学4年生の時、初めて県内の大会で優勝して。うれしかったね。この後から頭角を現した」。オーストリアで起きたケーブルカー火災事故で犠牲になった佐瀬智寿さん=当時(14)。父親の倉寿さん(66)は、猪苗代町の自宅の壁にかかる写真を見つめた。

 智寿さんがスキーを始めたのは小学3年の時。国体に出場経験のある倉寿さんと同じ世界に足を踏み入れた。最初は思うような結果が出ず、スポーツ少年団の活動とは別に倉寿さんから指導を受けた。朝早く起きて走り、風呂上がりに柔軟運動をした。次第に大会で結果を残せるようになり県の強化選手に選ばれた。

 中学3年時の身長は180センチ近く。オフシーズンは野球に励み、捕手で4番を担うなど、スポーツ選手としての才能を発揮した。

 スキーシーズンの到来を前に、オーストリアの合宿に参加。そこで惨事に巻き込まれた。「本人に聞いたら『行きたい』と言うので。海外で何かを感じれば、人間的にも成長するんじゃないかと」。倉寿さんは、そんな思いで送り出した。

 ■スキーに魅了

 「スキーを始めたのは3、4歳のころかな。『やりたい?』って聞いたら『やりたい』って」。猪苗代中2年の長女=当時(14)=を亡くした男性(63)は振り返る。男性はかつてスキー選手として活躍。長女もその背中を追うように白銀の世界に挑んだ。

 中学校ではスキー部の主力に成長。県の強化選手になり、全国大会出場を目標に掲げていた。合宿に参加したのは社会勉強の一環を兼ねてだった。「海外に行っていろんな世界を見ることで社会的、人間的な視野が広がればと思って」。男性はそう口にする。

 ■「区切りはない」

 スキーの技術も、人としても、大きく羽ばたこうとしていた中学生の未来を奪った事故。男性は信じることができなかった。インターネットで現地の状況を確認し、「たぶん大丈夫」と言い聞かせた。

 悲報から20年。今も一緒に旅行に行った際に見せたきらきらした表情を忘れることができない。「区切りとかは特にない。毎年同じですよ」

 男性には不思議なことが一つある。「亡くなった人の夢を見るとよく言うけど、娘が一度も夢に出てこないんですよ」。男性の心の中で、長女は生き続けている。