【ケーブルカー事故20年】次世代へ思いつなぐ 先輩と突然の別れ

 

 「地元の先輩で、スキーヤーとして憧れであり、目標でもありました」。猪苗代高スキー部顧問で、県スキー連盟競技本部長の相原正裕さん(58)にとって、4歳年上でケーブルカー火災事故で亡くなった出口沖彦さん=当時(42)=はそんな存在だった。

 出口さんは小さいころから猪苗代町で過ごし、さまざまな大会で活躍。早稲田大に進学して学生の大会で優勝するなどした後、デモンストレーターになり、後進を指導したりもした。「天才的なスキーヤー。柔らかい動きの中に速さがあるようなスキーをしていましたね」。出口さんの印象を相原さんは口にする。

 相原さんは中学生のころから出口さんと交流があり、あこがれの人の背中を追い掛け早稲田大に進学した。卒業後は教員になり、高校生らを指導するように。「出口さんに並び、超えるような選手を育てたい」。そんな思いで選手と向き合う。

 ■誓い合った健闘

 突然の先輩との別れ。その数カ月前に2人は会話を交わしていた。「最近はどう?」「今年も頑張ろうな」―。地元に戻り、スキーを教えていた出口さん。「福島の子どもたちを日本一にしたい。出口さんも同じ考えだったと思う」。福島で育ち、スキーに魅了された者同士、言葉にしなくても分かり合えるものがあった。

 事故後、海外で合宿を行う必要性の有無が話題になった。「治安や国際情勢などの心配もある。海外での合宿は厳しくなるんじゃないか」。そう思っていた相原さんの元に、一本の電話がかかってきた。「心配かけて申し訳ないけど、計画通りに強化を頑張ってほしい」。事故で犠牲になった中学生の親の言葉。海外で合宿を続けることに、背中を押された思いだった。

 ■「やればできる」

 事故から20年。強化合宿の中で、事故の話をすることもある。今の10代にとって、事故は生まれる前の出来事。事故があったことを含め、福島から日本一、世界一を目指した人がいたことを伝えていきたいからだ。

 「マスクをしていると分からないんですけどね」。マスクを外すと相原さんの顔には、ひげが生えている。事故直後でまだ安否が分からないころ、安全祈願も兼ねてひげをそらずにいた。今もひげを生やしているのは、犠牲になった6人が心の中で生きているから。

 「福島でも『やればできる』ということを出口さんが示してくれた。子どもたちの思いをつなぎ、出口さんを心の支えの一つとして指導に当たっていきたい」。決して忘れることのできない先輩と中学生たち。さまざまな思いを胸に、今年もスキーシーズンが始まる。