200年前に行方不明『芭蕉の句碑』再建 善導寺「観光の一助に」

 
善導寺に建立された芭蕉の句碑(手前)などの石碑

 郡山市の善導寺は、同寺の境内に、江戸時代の俳人松尾芭蕉の句碑を建立した。9日、同寺で開眼式が行われ、約200年前に焼失したとされる芭蕉の句碑の再建を、関係者が喜んだ。

 石碑には、芭蕉が郡山を詠んだとされる「浅香山 帷子(かたびら)ほして 通里介李(とおりけり)」の句が刻まれている。

 この句の存在は、同市の安積国造神社に所蔵されていた文書によって、昨年明らかになった。また、その句碑がかつて同寺にあり、1807(文化4)年の郡山宿大火で寺が類焼した後に行方不明となったことなども判明し、今回の再建につながった。

 句碑の再建に当たり、芭蕉の俳諧を県内に広めた江戸時代の俳人佐々木露秀と、実弟の塩田冥々(めいめい)の句碑も併せて建立された。露秀は同寺を拠点に芭蕉の俳諧を普及し、冥々は同寺の住職から俳諧を学んだとされている。

 開眼式には約15人が出席。読経が行われ、出席者が焼香した。中村隆敏住職が「昨年、句碑がこの寺にあったことが明らかになり、再建することとなった。郡山の観光の一助になれば」とあいさつした。

 文書を発見した安積国造神社の安藤智重宮司も出席し、「句の存在は知られておらず、忘れられてしまうところだった。句碑という確たる物ができたことで、後世に伝えていくことができる」と話した。