磐梯山噴火後の山麓、植林前は草原 福島大チーム植物研究分析

 
田口亮男が磐梯山で採集したヒメシャジンの標本

 福島大共生システム理工学類の黒沢高秀教授(55)らの研究チームが、1888(明治21)年の磐梯山噴火から約20年後の磐梯山・裏磐梯に生育していた植物について、当時の植物研究者が残した資料を分析して具体的に明らかにした。山の斜面の岩場にはヒメシャジンなどの高山植物が生育している程度で、山麓にはチシマザサの草原が広がっていた。この地域で植林が本格化する1910年以前の植生景観が明らかになるのは初めて。

 福島大が14日発表した。磐梯山は噴火で山体崩壊を起こし、北側が岩屑(がんせつ)なだれで埋められて現在の裏磐梯の地形ができた。その後遠藤十次郎(遠藤現夢)らがアカマツ林などを植林し現在の景観が出来上がったが、植林が本格化する前の景観についてはこれまでほとんど記録がなかった。

 2014(平成26)年、植物研究者田口亮男(すけお)(1887~1958)の資料が大学に寄贈された。現在のいわき市で校長などを務め、県内の植物を研究した最初の研究者の一人として知られる人物で、その資料の中に「福島県植物誌 磐梯之部」と題した手書き原稿や植物標本が含まれていた。

 分析の結果、田口が福島県師範学校に在学していた頃の1906~09年、磐梯山調査を行った際の記録であることが分かった。この資料によると、山の斜面は高山植物がぽつぽつと生育する岩場で、山麓にはヤナギランやドクウツギを伴うチシマザサの草原が一面に広がっていた。桧原湖に注ぐ川の河口にはカワラハハコが群生していた。

 ヒメシャジンなどの標本は、磐梯山や裏磐梯で採集されたものとしては現在知られているものの中で最も古かった。
 植物分類学を専門とする黒沢教授が14日、大学の定例記者会見で発表した。「今回の研究をきっかけに、磐梯山や裏磐梯の環境に興味を持つ人が増えればうれしい。こうした資料の収集意義についても理解が広まればいい」と話した。