【常磐炭礦大閉山50年(中)】「温泉でハワイを」地域経済再生へ

 
「これからもさまざまな困難を乗り越えられる」と語る坂本さん

 「これからは『1億総レジャー』の時代。温泉でハワイをつくる」。常磐炭礦(たんこう)の社長を務めた故中村豊さんの着想が一大レジャー施設の誕生につながった。フラガールで知られる常磐ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアンズ)の開業だ。

 採炭の副産物だった温泉に地域経済の再生を託し、新たな地域振興の資源となったのだ。「オープン前、社内外の理解を得るには長い時間をかけていたと聞いている」。社員OB会長の坂本征夫さん(76)は1966(昭和41)年の開業につなげた先人の苦労に思いをはせる。

 坂本さんは祖父から親子3代にわたる炭鉱一家で育った。父徳治さんは当時副社長だった中村さんと親交が深かったため、よく苦労話を聞かされていた。その頃は昭和30年代。石油を中心とした産業への転換が急速に進み、炭鉱業は失速。炭鉱に代わる事業を求めていた。

 中村さんが目を付けた一つが海外渡航の自由化だった。事業化の一環でハワイを視察し、いわきで湧き出る温泉で再現することを思いついた。

 中村さんは東京五輪が開かれた64年に子会社「常磐湯本温泉観光」を設立。常磐ハワイアンセンターのオープン準備が始まった。

 準備を進める中で、否定的な目が集まったのはフラガール。坂本さんは「おへそを出し、腰を振る踊りや派手な衣装からヌードと誤解され、ダンサー集めに苦戦していたようだ」と語る。

 ただ、オープンすると、マイナスなイメージは消えていった。坂本さんは開業当時を思い出す。「笑顔のフラダンサーたちが一生懸命に踊っていた。そのひた向きさが人気を呼んだのだと思う」。瞬く間に人気施設となり、初年度は目標の1.5倍となる年間約120万人が来場。一躍、地域の観光資源となった。

 坂本さんはオープン翌年の67年に常磐炭礦に入社。主に施設整備に関わり、水着で入れるスパ施設やホテル「モノリスタワー」などの建設に携わった。東日本大震災後は施設復旧の責任者を務め、施設の変化を間近に見てきた。

 坂本さんは「中村さんの10年先の世の中を見通す力と発想力が従業員と地域を守ったと思う」と感謝し、「炭鉱から業種も施設もさまざま変わったが、社員は一生懸命働いている。これは今も変わらない。これからの困難も乗り越えられる」と話し、施設を見つめた。

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 社名変更 採炭業を展開した常磐炭礦は1970(昭和45)年、常磐ハワイアンセンターを運営していた子会社の常磐湯本温泉観光を吸収合併し、常磐興産に社名を変更。90年には施設名を「スパリゾートハワイアンズ」に変えた。