【新潟・福島豪雨10年】どう避難、絶えず議論

 
「避難するのが大げさであっても被害が少なかったらいいじゃない」。旧二本木橋があった現場に立つ滝沢さん。後方に見えるのが新しい二本木橋

 「けが人が一人も出なかったのは奇跡だと思う」。金山町の上横田地区では、2011(平成23)年7月の新潟・福島豪雨の際、只見川に架かる国道252号の二本木橋が流された。当時、町消防団第2分団部長だった滝沢良一(61)は、その様子を仲間たちと目の当たりにしていた。

 滝沢は当時、二本木橋のたもとに自宅兼事務所を構えていた。11年7月29日午後3時ごろ、川に目をやると明らかに水かさが増していた。雨脚が強くなり「橋が危ないかもしれない」と感じた滝沢は午後6時ごろには、橋にバリケードを設けて通行止めにし、住民の避難誘導を始めた。

 午後7時すぎ、膨れ上がった濁流が橋に着いたかと思うと、すさまじい音を立てて巻き込んでいった。たもとにあった滝沢の自宅も全壊してしまった。「自分は消防団員。家のことなんてかまっていられなかった」。滝沢らの行動は、多くの人の生命を守った。

 新たな二本木橋は、かつての橋より上流約270メートルの場所に建設された。被災の教訓を生かし、路面の高さを約5メートル高くしたほか、歩行者の安全な通行を確保するため幅2メートルの歩道も設けた。新橋は地区の復興のシンボルとして、豪雨から2年3カ月後に開通した。

 10年の時を経て、滝沢は消防団第2分団の分団長となり、地区の区長も務めている。金山町は被災後、計13地区で築堤や宅地のかさ上げを計画した。だが、終了したのは上横田と土倉の2地区のみだ。只見川には、川の水位を低下させる治水対策専用の河川施設はない。滝沢は「大雨が降ると川を見るようになった。早めの対策が必要だ」と訴える。

 被災は住民の意識も変えた。66世帯の上横田地区には1人暮らしの高齢者が多く、滝沢ら地区の役員は集まりがあるたびに「誰がどの世帯に連絡するか」「逃げ遅れがないような巡回をどうするか」などと話し合っているという。

 「騒ぎは大きく、被害は少なく。そういう気構えがいいんじゃないかな」。災害にはできる限りの備えをする。その考えが、滝沢のふに落ちる。(文中敬称略)

          ◇

 只見川の治水対策 戦後の電力確保と経済復興のため、奥只見ダム(電源開発)、本名ダム(東北電力)など10カ所の利水ダムが階段状に連続して設置されている。いずれも発電専用ダムで、治水ダムや多目的ダムはなく、豪雨災害などに伴う流域での治水対策が急務となっている。1969(昭和44)年の只見川洪水でも甚大な被害が発生し、築堤などを行っている。

          ◇

 会津17市町村巡るパネル展が始まる

 新潟・福島豪雨から10年の節目に合わせ、災害の記録や教訓を伝えるパネル展が17日、只見町の只見振興センターで始まった。会津17市町村を巡るリレー方式で順次開催し、防災への心構えを広く訴える。

 会津地方振興局など会津にある県の出先機関が主催した。9月15日まで三つのルートで各地を巡る予定で、18日からは喜多方市の道の駅喜多の郷、檜枝岐村の道の駅尾瀬檜枝岐で始まる。

 会場では約15枚のパネルを展示している。地域の被害状況や復旧後の様子などを紹介しているほか、再開通へ向け工事が続くJR只見線の現状を説明している。