【新潟・福島豪雨10年】「再開通」新たな出発点

 
津川口駅近くで線路を見つめる酒井さん。「将来、町の観光に携わりたいという子どもたちのためにも只見線はなくてはならない」と話す

 JR只見線の会津川口駅は、どこか心休まるたたずまいの小さな駅だ。会津若松方面から来た列車が到着すると、しばらく停車した後に今来たばかりの線路を引き返していく。これより先の一部区間は、2011(平成23)年7月の新潟・福島豪雨による被災で不通になったままだ。只見線地域コーディネーターの酒井治子(はるこ)(40)=只見町=は「只見線の全線開通を諦めたら、沿線の地域が取り残されてしまうような気がする」と、鉄路の先を見つめた。

 只見線は、豪雨で只見川に架かる三つの橋が流失した。県や関係自治体は復旧に向け動きだしたが、13年5月に衝撃が走る。JRが試算した復旧費用は、約85億円という巨額なものだった。地域振興のため再開通を望む地元と、被災前からの不採算路線の再開通に二の足を踏むJRの間には、確かな温度差があった。

 潮目が変わったのは16年6月だった。JRが、復旧費の一部を地元が負担することを前提に「上下分離方式」による再開通の道筋を提案したのだ。上下分離とは、自治体が線路や土地を保有し、JRは運行のみを担うという形式だ。鉄路の維持とコスト削減という、両者にとっての「落としどころ」に、県とJRは17年6月、復旧の合意書を締結した。現在、来年中の再開通に向け工事が進む。

 地元にとって只見線はどのような存在か。酒井によれば「幼い頃から身近にあり、家族の思い出が重なり合う。あって当たり前で、空気のような存在」という。経済的な効果だけでは割り切れない、地域の日常の一部分。父が只見線で保線の仕事をしていた酒井は、人並み以上にそう思う。

 再開通後の只見線を考えた時、酒井も「再開しても乗客が来ないかもしれない」と一抹の不安を感じる。だが、好材料もある。近年は奥会津の絶景が楽しめる路線として知られ、コロナ禍以前は台湾を中心に外国人旅行者が多く訪れていた。

 「今度は自分たち地元が知恵を絞る番。チャレンジしていかないと」。酒井は自らを奮い立たせる。線路が再びつながる日は、豪雨災害からの復旧であり、奥会津振興へ向けた新たな出発点だ。(文中敬称略)

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 JR只見線 会津若松市の会津若松駅と新潟県魚沼市の小出駅を結ぶ全長約135キロの路線。不通となっている会津川口―只見駅間を上下分離方式で復旧した後、県と会津17市町村が負担する維持管理費は年間2億円を超えると試算されている。県は、赤字路線から人気ローカル線に転換したJR五能線(秋田県―青森県)の取り組みを参考に、只見線利活用計画を策定している。