【特集・戦後76年】未開封で戻った家族写真 伝えたかった弟誕生

 
戦場の父に送った写真を手に、当時を思い出す大和田さん

 終戦から76年。時代は昭和から平成、令和へと移り変わった。戦争体験者の高齢化は一層進み、実体験を直接聞く機会はなくなってきたが、戦争の悲惨さや平和への願いを継承していかなければならない。

 澄ました表情で写真に納まる3人と一つの人形。弟の誕生を知らせるために母が戦地の父に送った写真は、封が切られることなく、しわくちゃになって手元に戻ってきた。小野町の大和田タカ子さん(81)は、戦地で亡くなった父一徳さんの記憶が、ほとんどない。大和田さんは「当時、みんなが闘っていた」と生きることに必死だった日々を振り返る。

 戦争の激化に伴い、一徳さんは1944(昭和19)年12月、歩兵第29連隊に入隊。帰還した親族によると、一徳さんは中国湖北省で終戦を迎えて撤退の途中、感染症に侵され、45年9月17日に同省の病院で戦病死したとされる。母が弟が誕生して間もなく撮影し、送った写真を、目にすることはなかった。29歳だった。

 一徳さんとの思い出で、おぼろげに覚えているのは、一徳さんが出征する時に当時は珍しかった人形を買ってもらったことぐらい。また、終戦後のある日、大和田さんが6歳ぐらいの頃、家族と一緒に約4キロ離れた駅に歩いて向かった。「疲れるのになんで行くんだろう」と思っていたこと、木綿のモンペではなく、めったにはけなかったスカートでおめかしして喜びでいっぱいだったこと。大和田さんの一徳さんに関する記憶はこの2場面で終わる。

 なぜ駅に向かったかを知ったのは数十年経過してから。その日は一徳さんの遺骨が帰ってきた日だった。ただ、「戻ってきたのは、ミカンの皮みたいのが入っていただけで、『英霊』と書かれた紙が入っていただけ」とも教えられた。

 戦後、父を亡くした大和田さんに、小さい頃は「おめげ(おまえの家)、父ちゃんいねえべ」とからかわれることもあった。「こんちくしょう」と思ったが、育ててくれた祖父矢吹佐一さんの存在が大きかった。旧小野新町で町長を務めた人物。「周りに笑われるようなことはするな」と厳しく言われて育った。「祖父はPTA会長を務めてくれた。今まで寂しい思いをしたことはないし、いじめられたこともない」と感謝する。

 父に会いたかったかを問われると、大和田さんは「幼いながらも、それは望めないことだと分かっていたから」と言葉を絞り出すように話した。

 終戦から76年がたとうとしている今、大和田さんは思う。「戦争なんて、なんてばからしいことやったのかな。なんで、避けることができなかったのかな」