【特集・戦後76年】出征愛馬に誓う非戦 「犠牲は人だけではない」

 
石碑を見つめ、愛馬に思いを寄せる永山さん

 戦争は人だけではなく、大切なものも全て奪った―。いわき市中央台の永山銀一さん(80)は、同市長橋町の性源寺に建てられた「出征軍馬忠魂碑」に静かに手を合わせた。永山さんは「また会えたら『よくやった』と褒めてやりたい」と今は亡き愛馬に語り掛けながら「二度と戦争は繰り返してはいけない」とつぶやく。

 戦争が激しさを増した1938(昭和13)年に国家総動員法が制定され、政府は農耕馬を軍馬として徴用する体制を固めていった。市内でも多くの農耕馬が徴用され、町や村から戦地に送られた。出征軍馬忠魂碑は、戦争で徴用された馬を慰霊しようと1940年に建てられ、石碑の裏には徴用された馬と所有者の名前が刻まれている。

 明治から昭和初期ごろの農家にとって馬は働き手であり、大切に扱われていた。現在の同市平下荒川で農家を営んでいた永山さんの自宅でも、2頭の馬が生活を共にしていた。母屋の近くに馬小屋を建て、沢で水浴びをさせたりと家族のようにかわいがっていたという。

 そんなとき、徴兵通知業務などを担う役場の兵事係が家を訪ね、「この馬はきっと戦地でも活躍する」と愛馬に出征を言い渡した。「馬がどこに連れていかれるのか知らされなかったが、国のためと思うしかなかった」と、永山さんは悔しさをにじませる。

 馬を見送るため、永山さんは祖母マスさんと現在のJRいわき駅に向かった。駅には、市内各地の馬が集められ、次々と貨車に乗せられていた。見送る人々は「元気でな」「兵隊さんたちの言うことを聞いてしっかり頑張れよ」と声を掛け、無事を祈って赤飯を食べさせたという。

 「いつか務めを果たして帰ってくる」。そう信じ、永山さんは馬の首に住所を書いたお守りをぶら下げ、見送った。しかし一頭も帰ってくることはなく、その後の消息も分からない。「帰り道に『愛馬進軍歌』を口ずさみ泣いていた祖母の姿が今も忘れられない」

 毎年、お盆になると石碑に線香をあげる。戦後は手を合わせに訪れる人の姿が多く見られたが、現在は石碑の存在も忘れられ、気に掛けてくれる人もいないことに永山さんは心を痛めている。
 「別れたときの鳴き声、姿が目に浮かぶ。戦争で犠牲になったのは人だけではない。馬のことも忘れないでほしい」。永山さんが見つめる石碑には、人々と馬が共に生きた証しが刻まれている。