当時の児童「請戸小、また縁結ぶ場所に」 震災遺構10月24日開館

 
請戸小から大平山に避難した当時を振り返る横山さん。左奥が請戸小=浪江町

 「私にとって請戸小は、古里の記憶を思い起こさせる大切な場所」。東日本大震災当時、浪江町の請戸小6年生だった横山和佳奈さん(23)は、津波で更地となった草原にぽつんと残る校舎を見てつぶやいた。あの日を境に離別した家族や友人の面影が、校舎を中心によみがえる。震災の爪痕を今も残す校舎は24日、震災遺構「請戸小」として新しい時を刻み始める。

 2011(平成23)年3月11日。校舎にいた児童82人は迫り来る津波から逃れようと、教職員に従って田んぼのあぜ道を駆けた。高台の大平山に登り、山中を抜けて国道6号に出る。運良く近くを通り掛かった大型トラックの荷台に乗り、町役場の体育館に避難した。

 「みんな無事で良かった」。不安でいっぱいだった子どもたちに安堵(あんど)の表情が広がった。しかし体育館では大人たちの不安そうな声ばかりが聞こえてきた。「請戸は全滅だ」。巨大な津波は沿岸の家々を全て破壊し、横山さんの祖父母ら住民154人の命を奪った。翌日には東京電力福島第1原発事故が起き、請戸で共に暮らしてきた人々は全国に離散せざるを得なくなった。

 横山さんも家族と郡山市に避難した。中学、高校を郡山で過ごす中、請戸で過ごした12年間と現在の自分にどうしても折り合いをつけられずにいた。そんな戸惑いを振り払ってくれたのは、小学4年時に始めた古里の伝統芸能「請戸の田植踊」だった。浪江町民が避難する県内各地の仮設住宅で踊りを披露し、古里を追われた町民の心をつないできた。住民の笑顔に「やはり私の根っこは請戸にある」と感じた。

 仙台市の大学に進学してからは、震災の記憶を伝える語り部の活動を始めた。大学を卒業した今は東日本大震災・原子力災害伝承館(双葉町)の職員となり、被災当事者として生きた体験を来館者に伝える。

 請戸小を震災遺構として保存・活用する議論の中では、町の検討委員会のメンバーにもなった。「ばらばらになった請戸の人々が再び縁を結ぶ場所になってほしい」。震災遺構として残ることになった母校に対して、今はそんな願いを抱く。

 「学校の周りにはたくさんの家があって、私の家もあった。家の2階からは海が見えたな」。記憶をたどるように請戸を歩く横山さんのスカートに、雑草の種がくっついた。「そういえば小学生の時、友達と服に付け合って遊んだのを思い出しました」。震災から10年半がたった。横山さんは開館初日、遺構となった校舎で田植踊を披露する予定だ。(渡辺晃平)

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 請戸小 1873(明治6)年に前身の広業小が開校し、移転を経て1998年に現在の2階建て校舎が完成した。海岸から約300メートルの沿岸に位置し、震災の津波が校舎2階の床面まで到達した。発生時は教職員による懸命の避難誘導などで校内にいた児童82人は全員無事だった。校舎は震災の記憶を後世に残そうと保存され、震災遺構として整備された。