農民の心立て直した尊徳 歴史文化講演会、教え生かしまちづくりを

 
二宮尊徳の教えをテーマにした講演会を聞く来場者=南相馬市鹿島区

 南相馬市で6日に開かれた「歴史文化講演会in南相馬~報徳の教え」。講演会では、登壇者がそれぞれの視点から農政家二宮尊徳の教えや人物像に迫った。

 水戸徳川家15代当主の徳川斉正氏は尊徳と論語の関係について持論を展開しながら、尊徳の教えを生かしたまちづくりを進める南相馬市の復興へエールを送った。徳川宗家18代当主長男の徳川家広氏は、尊徳が農村再建に奔走したことを紹介。農民の心も「立て直した」とした上で、農民が勤勉になることに手応えを感じていたようだと語った。

 渋沢史料館館長の井上潤氏は、尊徳の行動や思想が渋沢の思想に影響を与えた可能性があると指摘した。

 講演会の冒頭、中川俊哉福島民友新聞社社長が「尊徳の歴史を振り返りながら、私たちの暮らしやまちづくりに生かされる視点、道しるべになるものが見つかれば幸いだ」とあいさつした。

地に足着けた思想体系 水戸徳川家15代当主・徳川斉正氏

 勤労勤勉の象徴として全国の小学校の校庭に設置された二宮尊徳の銅像を思い浮かべる人も多いのではないか。論語を実体験とともに学んだ考え方、行動はまさに地に足を着けた揺るぎない思想体系だった。

 尊徳と論語の関係は「実行が先、結果が後」で、尊徳は論語をうのみにしたわけではなく、尊徳の行動が論語の一節一節に当てはまったのだと思う。現代は天道に人道が勝っていると思いがちだが、地震や台風といった大きなしっぺ返しを自然から食らっているのではないか。尊徳が生きていたなら、現代をどのようにしようと考えただろうか。尊徳の教えを生かしたまちづくりを進める南相馬市の復興と繁栄を願っている。

勤勉で私利私欲ない人 徳川宗家18代当主長男・徳川家広氏

 二宮尊徳は勤勉で私利私欲のない人だった。私利私欲を離れた人が一生懸命になる姿は周りの人々を変える。尊徳は1859年に亡くなり幕末の動乱を知らない。なぜ私が尊徳の話をするかというと、平和な日本とは、略奪のない労働だけで経済が成り立つ社会であり、尊徳こそが幕末前夜の日本での民間の熟成を象徴する人物だったからだ。

 報徳の教えを広めるためにつくられた報徳会の3、4代会長河井弥八は日本中に尊徳の銅像を広めた人であり、徳川16、17代の側近だった。まきを背負っている銅像は尊徳を表したのではなく、家康公が「人の一生は重荷を負うて」と言ったことを像にしたのではないかと考えている。

渋沢栄一の思想を実践 渋沢史料館館長・井上潤氏

 日露戦争後の日本社会には「金銭尊重」「個人重視」の風潮があり、知識人が青年層に対して処世術を説きながら、人格の修養の励行を求めるようになった。

 渋沢栄一も経済界から引退後に「論語算盤説」「道徳経済合一説」という考えを主張しており、正しい利益の追求、自分だけの豊かさだけでない公益の大切さを説いた。そんな渋沢の思想を報徳仕法としてすでに実践していたのが、二宮尊徳だったという2人の関係性がある。渋沢が初代院長を務めた困窮者のための救済施設「東京養育院」では、収容者に「一心不乱に勉強することで、必ず偉い人になれる。あの二宮尊徳をご覧なさい」と言っていたという話もある。