「渋沢栄一の手紙」...福島に 内池家で10通発見、本贈呈に感謝

 
渋沢栄一の手紙を手にする浩さん(右)と崇さん

 26日に最終回を迎えるNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公で、実業家・渋沢栄一の直筆の手紙10通が、福島市で見つかった。いずれも明治後期から大正期に届いた私的な礼状や紹介状で、専門家は「渋沢が地方の経済発展に力を注ぐ中、全国でのネットワーク構築を考える上で貴重だ」としている。

 手紙が見つかったのは同市の老舗「内池醸造」を経営する内池家。関係する建物で今月、保管されていたことが分かった。手紙10通のうち1通は額装されていた。引っ越しなどの際に、存在が忘れられてしまったとみられる。

 調査した県歴史資料館の渡辺智裕歴史資料課長(55)によると、手紙は全て内池家9代目で、当時あった百七銀行(福島市)の頭取を1907(明治40)年から21(大正10)年まで務めた内池三十郎宛てで、10通のうち8通が礼状、2通が人物の紹介状だった。

 礼状のうち額装された手紙は、三十郎の息子で、大正・昭和初期に活躍した経済学者内池廉吉の著書「倉庫経営論」の贈呈に感謝する内容だった。別の礼状でも、廉吉の著書「米国経済事情研究」の贈呈に感謝し「米国研究の中でも経済事情に関するものなので熟読したい」と記してあった。このほかの礼状には、福島産の果物への返礼として「味わうのが楽しみ」と喜びが記されていた。

 渡辺課長は、三十郎が頭取時代に渋沢とつながったとみており「雲の上の存在である渋沢とつながりを持つことを誇りに思ったはず。息子の廉吉の著書をたたえる内容の手紙を額装しており、子を思う親の気持ちもあった」とみた。

 内池醸造会長で内池家13代目の内池浩さん(78)によると、廉吉は家業を継がずに学者の道を選んだ人物。「(三十郎は)廉吉が学者として渋沢に認められ、よほどうれしかったはず」と親心を察する。同社長で14代目の崇さん(47)は「手紙から先祖の生きざまを感じ取った。自分も家業にしっかりと取り組みたい」と決意を新たにした。

 渋沢史料館(東京都)の桑原功一副館長(52)は「全国に手紙が残るが、一度に10通が見つかるのは珍しい」とした。渋沢は世の中の繁栄は、中央だけでなく地方の振興も重要と訴えていたため「生糸で発展していた福島の有力者との交流を大事にしたことからも渋沢の考えが分かる」とした。