【新春対談(上)】内堀知事×柳美里さん 福島「復興の地」へ

 
ことしの干支(えと)のトラを手に笑顔を見せる内堀知事(左)と柳美里さん

 福島民友新聞社は新年に当たり、内堀雅雄知事と南相馬市小高区在住の作家柳美里(ゆうみり)さんによる新春対談を企画した。内堀知事は新年度から9年にわたる新たな県総合計画を踏まえ、ことしを「大事なスタートの年」と位置付けた上で「福島の定義を『復興の地』に変える」と力説。柳さんは東京電力福島第1原発事故による避難指示などで「線」が引かれ分断されたとして「つながる線へと変えていきたい」と応じた。

 内堀知事は広辞苑第7版に「浜通り」が新たに加えられたと紹介。その浜通りで生活する柳さんを前に、同じく本県の語義として増えた「東日本大震災・原発事故により被災」の文言を「これからの努力で『復興の地・福島』に変えていく」と強調した。そのためのベースは「人」だとして、自宅でカフェを備えた書店「フルハウス」を営む柳さんを「人が来るきっかけとなっている」とねぎらった。

 東日本大震災の発生翌月から南相馬市に通い詰め、2015(平成27)年に神奈川県鎌倉市から転居した柳さんは「小さな灯(あか)りでも、街の風景としてともしていく」とフルハウスへの思いを明かした。「高校生たちが懐かしく振り返る場所にしていきたい」と述べ、劇場兼シアターを整備するなど、施設を充実させていく考えを示した。

 柳さんは原発事故後の状況を「線」と表現。帰還困難区域など、さまざまな線で浜通りが分断される一方、JR常磐線や国道6号線、豪雨災害を受けたJR只見線などを例に「分断された線を、つながる線に意味を変えていきたい」と語った。

 内堀知事は「線」というキーワードに賛同しつつ、これまでの10年を「葛藤と向き合い、挑戦を続けてきた」と振り返った。「正解がないだけに、葛藤を乗り越えるため、どういう挑戦をすればいいのかを考えながら仕事をしている」と思いを吐露した。

 風評対策を巡っては、内堀知事は「冷静さと温かい心、誠心誠意の三つを胸に、相手に押し付けず、共感を呼ぶことが重要」と指摘。柳さんは「被災地視察ではない来県の動機を増やし、新たなまなざしを向けてほしい」と全国、そして世界に訴えた。

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 知事「葛藤と挑戦の10年間」柳さん「浜通りの良さ気付いて」

 対談詳報は次の通り。【司会 社長・編集主幹 中川俊哉】

 ■常磐線への思い

 ―柳さんは「JR常磐線夜ノ森駅」を執筆中です。常磐線への思いから聞かせてください。
 柳美里さん(以下柳) 南相馬市に来たのは2011年4月21日。15年に移住しました。常磐線(の不通区間)が再開するたびに息子と一番列車に乗車しました。アナウンスをする人も涙ぐんでいたし、手を振る沿道の人も涙ぐんでいた。20年3月14日に常磐線は全線開通しましたが、新型コロナウイルス感染症の影響があり、お祝いをできていないのがとても悔しいです。

 内堀雅雄知事(以下知事) 20年3月14日と21年3月25日の2度、双葉駅に行きました。最初は全線再開の記念式典。新しい駅に入ってきた列車は満員でした。太鼓が演奏され、「おかえり」と書かれた横断幕が掲げられました。あのシーンを一言で表現するなら「喜び」でした。2度目は東京五輪の聖火リレー。双葉駅前を聖火ランナーが走りました。原発事故で避難指示が出た全自治体を聖火リレーのルートにできたのも「喜び」でした。

 知事 帰還困難区域の時計の針は止まったままですが、避難指示が解除された地域は復興が進んでいる。復興を実感できると思っていた中、地元の方から言われたことが印象に残っています。「けど、寂しいんだよね」って。大熊町の大川原地区はその典型です。新しい町がつくられていますが、地元の方は「大川原じゃないみたいだ」と。復興が止まれば寂しい気持ちになるが、復興が進むことで心の中にあった故郷がなくなったり、上書きされた気がする。復興は大事ですが、住民には寂しさがある。喜びと寂しさの両方を昨年3月に感じました。

  震災、原発事故でたくさんのものを失いましたが、新しいものがつくられれば、それはともしびになります。私の書店「フルハウス」もそうですが、少しでも自慢できるものを増やしたい。大きなものを誘致するのは行政の仕事。私ができるのは小さなマッチのともしびみたいなものです。知事が言われた街の風景って、近所の駄菓子屋など、どちらかといえばマッチの明かり。フルハウスは小高産業技術高の通学路にあります。高校生が懐かしく思い出せるような場所をつくり、増やしていきたい。

 ■国際教育拠点

 ―常磐線が通る浜通りに国際教育研究拠点が整備されます。期待する街の姿は。
  街は本来、人が集まってできるものです。でも国際教育研究拠点をきっかけに若い人が集まり、浜通りの良さに気付いてくれればと思っています。南相馬市に来た時、震災、原発事故は別にして、すごく良いところだと思ったんです。「何がいいか」って聞かれると「人」なんですよね。引っ越したばかりの時、「マーボー豆腐できたから温かいうちに食べてみて」って家に入ってきてくれた。お返しをすると、お返しをくれて、さらにお返しがあって。最後には、お母さんの形見の帯をもらった。これはもう返せない。若者は人とのつながりを面倒くさがって田舎から都会に出て行きますが、都会では逆に孤絶状態で引きこもってしまったり、心が窮屈になってしまったりする。だから、人と出会ってもらえればと思っています。

 知事 広辞苑は第7版まで出ていますが、「浜通り」という言葉が入りました。「廃炉」もそう。東日本大震災とセットなんです。福島県は「東日本大震災と原発事故により被災」と追記され、「被災の地・福島」になっている。やっぱりこの定義を「復興の地・福島」に変えたい。「東日本大震災と原発事故により被災。しかし、その後の努力で見事に復興を成し遂げた」と。そのベースとなるのは「人」です。

 知事 国際教育研究拠点は日本や世界の研究者、企業が集まって新しいものをつくり上げていく福島・国際研究産業都市(イノベーション・コースト)構想の核になります。心配しているのは、外から来た人だけが取り組み、地元の人が関係ない、という状態になること。浮いた存在になっては駄目です。黒船がやって来て終わりではなく、地元の企業や高校生が一緒に取り組む。被災の地を復興の地に変える。定義を変えるのはわれわれ地元です。そういう意味でも、地元が当事者意識を持って関われるような国際教育研究拠点にしたいと考えています。

 ■風評対策

 ―風評被害はいまだ根強い。風評対策で考えていることはありますか。
  福島県はすごく大きなレッテルを貼られています。原発被災地というレッテルを剥がすのは難しい。ただ、レッテルを貼られていても、演劇を見るという目的でワクワクしながら常磐線に乗ってくれば見える風景も違ってくる。国際教育研究拠点や福島ロボットテストフィールドなど新たに始まるものもある。被災地の視察ではない動機を増やし、新たなまなざしを向けてほしい。

 知事 被災地を旅行しようという「ダークツーリズム」という言葉があります。大変だった部分を見に行こうという。私たちは復興した「完了形」を見てほしいわけではない。復興は現在進行形であり、10年、20年、30年と続きます。復興に向かって苦労もあります。汗をかいて頑張っている姿を見てほしい。それを「ダーク」と見るか、それとも逆境を乗り越える「ホープ」と見るか。福島は「ホープツーリズム」でありたい。

 知事 風評払拭(ふっしょく)で大事なのは「クールヘッド(冷静さ)」「ウォームハート(温かい心)」「誠心誠意」の三つ。押し付けがましくなく、相手の共感を呼ぶことが重要であり、風評払拭を発信するとき、バランスよくちりばめて相手と接することが大事です。

 ■10年を表す言葉

 ―震災、原発事故後の10年を言葉で表すとしたらどんな言葉になるでしょう。
  難しいですね。人それぞれ違いますし、なかなか一つにまとめられませんが、「線」という言葉はどうでしょうか。原発事故により(避難区域など)いろいろな線が引かれた。常磐線、国道6号線、豪雨災害に見舞われた只見線という線もある。分断された線を、つなげる線に変えていきたい。線は、触れることで面にもなります。線の定義、意味合いを変えていきたい。

 知事 警戒区域や緊急時避難準備区域、帰還困難区域。そのたびに線の名前が変わる。避難指示が解除されれば新しい線ができる。大熊町の大川原地区で避難指示が解除されれば、大川原地区と大川原地区以外の人の間に新しい線ができる。大川原地区の中でも「よし解除されるから帰るぞ」「いや、もういわき市に新しい家造ったから帰られねえんだ」「どうしようかな決めらんねえ」と線ができる。線の在り方によって分断ができたり、距離が開いたりする。

  (通信アプリの)LINE(ライン)と言うようにインターネットの世界も線です。

 知事 私が考える言葉は二つあり、一つは「葛藤」。帰還困難区域の中に新しい線ができ、20年代までの間に帰れる地域と帰れない地域が出てくる。そこには葛藤があり、正解がない。正解がないから悩む。結果として分断が生まれる場合もある。11年を起点に、ずっと葛藤と向き合ってきました。二つ目は「挑戦」です。葛藤を解決するマニュアルや処方箋はない。ある人にとって良いことは、ある人にとってマイナスにもなる。例えば中間貯蔵施設。街中の土のう袋はなくなったのではなく、大熊町と双葉町に持っていったから見えなくなっただけです。一つ解決策をつくれば新しい悩みや苦しみを生む。こういう葛藤を乗り越えるために、どういう挑戦をしたらいいのかをいつも考えながら仕事をしています。正解がないので、一つの結論を出しても必ずお叱りを受けます。ただ、やはり前に進まざるを得ない。葛藤と、葛藤を乗り越えるための挑戦をどうするかというのが、この10年間のキーワードだったと思います。

  葛藤と挑戦という言葉を聞いて思ったのは、両方とも「問い」なんですよね。答えのない問い掛けを続けるのは、つらいことですが、生きることを支える「背骨」になり得るのではないか、というように思いながら聞いていました。

 ■22年はどんな年

 ―葛藤と挑戦の中、22年は本県にとって、どんな年になるでしょうか。
 知事 今年は大事なスタートの年です。県の新しい総合計画が4月にスタートします。昨年4月の予定でしたが、新型コロナの影響で1年遅れました。総合計画には、福島県のあらゆる課題と、それを解決するための施策が盛り込まれています。実は県民全員が施策に協力できるんです。福島県の農産物を食べて「おいしい」と言ったり、県外の人に「おいしいから食べて」と声を掛けたり、あるいは友達を「観光に来て」と誘う。これだけでも十分、県の施策に協力したことになります。福島県を元気に明るくしていくためには、皆さん一人一人が主役なんだと言い続けたい。「一緒に県のことを考えてみよう。だって故郷だもんね」ということを伝えていきたいと思っています。