福島の陸上...愛した40年 川本和久氏死去、トップ選手多数輩出

 
子どもたちに速く走るこつを指導する川本さん(左)。自身のチームだけでなく、各地で自身が考案した走り方を伝授した=2015年、南相馬市

 独自のスプリント論を確立し、五輪代表などトップアスリートを多数輩出した。11日に64歳で死去した福島大、東邦銀行の陸上競技部監督の川本和久さん。「『みんなで陸上をやろう』という人が増えれば、私が福島で過ごした40年間は浮かばれる」。最後まで指導者で在り続けたその姿と陸上を愛する思いは、教え子たちに引き継がれていく。

 「福島の陸上を盛んにすることが自分の使命だと思っていた」。先月5日、東邦銀行陸上部の新入部員を発表する記者会見に出席した川本さんは、本県で指導を始めたころに抱いた決意を明かしていた。

 1984(昭和59)年、26歳で福島大陸上部監督となり、震災直後の2011年4月に創部した東邦銀行陸上部の監督に就任。「世界に通用するアスリートの養成」に心血を注いだ。地面からの反発力を生かす独自の走法「ポン・ピュン・ラン」を考案し、教え子たちは日本記録を量産。各地で開かれた教室でも、子どもたちに走り方を伝授した。

 福島大陸上部出身で、女子100メートル元日本記録保持者の二瓶(旧姓雉子波)秀子さんは「運命を変えてもらった」と振り返る。競技力向上のため同大OBらが創設した福島大トラッククラブで現在も子どもたちを指導する二瓶さん。「どうやったら速く走れるか。先生がつくられたものを伝えていきたい」と、思いを受け継ぐつもりだ。

 川本さんは、自身の考えや近況を音声アプリ「Voicy(ボイシー)」で発信していた。20年には膵臓(すいぞう)がんが見つかったことを明かし、治療の状況なども伝えてきた。東邦銀行陸上部コーチの吉田真希子さんは選手だった高校時代に川本さんと出会い、闘病中も支えてきた。「練習計画を学生たちに送るなど最後まで選手を思い、陸上を愛して生きていた」と、背中を追い続けてきた恩師との別れを惜しんだ。

 ボイシーでの発信は先月24日が最後となった。川本さんは自身の病状を説明しながらも、「頑張ってくれるとうれしい」と大会を控えた教え子を気にかけていた。そしてこう話した。「勝利の伴走者として引っ張ってきたが、今度はみんなに引っ張ってもらってありがとう。何とか元気を出して、みんなでまたグラウンドで夢を追いたいなと思います。また頑張るね」

 「やればできる」選手を世界に

 川本さんの死去を受け、本県の陸上関係者などから悲しみの声が上がった。

 「惜しい人を亡くした。まだ若いのに...」。元福島陸上競技協会長で弟のように川本さんと接してきた片平俊夫さん(77)は訃報に肩を落とした。1984年に福島大陸上部監督に就任したばかりで経験の浅かった川本さんを福島陸協の強化部に抜てきした。「若い頃から信念を貫く指導者だった」。日本を代表する短距離コーチに対しても、指導法を曲げずに主張する姿が印象に残る。

 川本さんが監督就任後に土の競技場だった練習環境に不満を口にした時には、片平さんが「悔しかったら、強くするしかない」と鼓舞したこともあった。片平さんは「本当にチームを強くして、『やればできる』ということを証明してくれた。よく頑張った」と悼んだ。

 福島大の教え子で県スポーツ協会事務局長の穐本(あきもと)哲哉さん(54)は「情熱的な先生で選手の気持ちを上げるのが上手だった」と振り返る。口癖は「やればできる」。穐本さんは87年に沖縄県で開かれた国体の男子400メートル障害で優勝した経験を持ち、「監督のおかげで勝負できた」と感謝する。福島陸協会長の鈴木浩一さん(69)は「理論的な指導で選手を育て世界へと導いた。本県の陸上競技をつくり上げてくれた」と功績をたたえた。