【復興拠点解除・葛尾】なくして気付いた郷土愛 農地再生に奔走

 
阿武隈山系に囲まれた野行地区で一人、農地の管理を続ける半沢さん。「野行を守りたい」との一心だ=6月1日、葛尾村野行

 帰る選択 半沢富二雄さん 68

 「普通は帰らないよな。新しい家は郡山にあるし、放射線は気持ち悪い。でも俺は野行(のゆき)が好きなんだ」。半沢富二雄(68)は昨秋、古里の葛尾村野行地区に住宅を新築した。野行への帰還を考えるのは30世帯のうち、わずか4世帯。半沢はその一人。「誰かが守らないと野行が消えてなくなってしまう」。阿武隈山系に囲まれた郷土には、荒廃した農地の再生に力を注ぐ半沢の姿がある。

 3人きょうだいの長男として生まれた。跡取り息子となり、地元の村役場に就職した。若い頃は「こんな田舎に残るなんて」と何度も思った。それでも春は土の匂い、秋は山の匂いがする野行の空気が好きだった。客が訪ねて来た際は、裏山で採れる山菜やキノコをお裾分けした。「山の幸は人の絆を結び付けていた」。自然の恵みは今、原発事故で奪い取られた。

 「野行に帰る価値観って何だろうな」。線量計の針が振り切れる古里に「もう野行には帰らない」と一度は決心した。郡山市に構えた新居には母と妻、娘の4人で暮らす。父は震災後に他界。先に村内に帰還した義理の両親も亡くなり、葛尾に帰る理由を見失った。そんな中、ただ不思議と、野行の四季折々の空気への恋しさが膨らんでいった。

 野行の家を解体するかどうか判断を迫られた4年前、半沢は家族を前に「帰りたいな」とつぶやいた。そんな姿を見かねた娘たちが応えた。「家を建て直してもいいよ。私たちだって野行に帰りたい」。その言葉が半沢の背中を押した。

 半沢はその後、地元のコメ農家らでつくる野行農業生産組合で先頭に立ち、古里で再び農業ができるか、コメや野菜の栽培に奔走した。未除染の山から放射性物質を含んだ雨水が流れてこないか不安な毎日だったが、収穫した作物に問題はなかった。先祖代々受け継がれてきた農地と向き合う日々で、半沢は思った。「俺は生かされている。やるしかない」

 体力の衰え実感

 だが、そんな思いと逆行するかのように、体は言うことを聞かなくなっていた。少し農作業をするだけで息が切れてしまう。「11年という年月はそういうことなんだ」

 「帰らない」と決めた仲間たちから「俺の農地も管理してほしい」と頼まれたが、今は自分のことで精いっぱいだ。「この農地をきれいにして、人が住みたいと思える環境を再びつくる。こんな場所に興味を持ってくれる若者が現れてくれたらいいなと思って」。帰還困難とされた郷土の一角で、半沢はそう願っている。(文中敬称略)

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 県内6町村に設定された特定復興再生拠点区域(復興拠点)のうち、葛尾村野行地区で12日、避難指示が解除される。東京電力福島第1原発事故に伴う帰還困難区域で人が再び暮らせるようになる初のケースとなる。帰る、帰らない。帰れる、帰れない―。震災から11年。それぞれの状況に置かれた野行の人々の姿を追った。

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 葛尾村野行地区 村の北東部に位置し、東京電力福島第1原発事故により地区全体(16平方キロ)が帰還困難区域となり、うち0.95平方キロが特定復興再生拠点区域(復興拠点)として整備された。復興拠点の住民登録は30世帯82人だが、家屋解体が進み、残っているのは3世帯。復興拠点から外れた小出谷集落は4世帯10人で、同じく復興拠点外の浪江町の小伝屋集落と隣接していることから、浪江町と葛尾村は両集落の一体的な除染、解体を政府に求めている。