【復興拠点解除・葛尾】復興住宅「ついのすみか」 古里の家は解体

 
三春町の住宅には野行にあった自宅の写真を飾っている。古里について語る松本さんの目は少年のように輝いた=6月2日、三春町恵下越

 帰らない選択 松本喜守さん 91

 「野行(のゆき)という集落はいいところだった」。松本喜守(よしもり)(91)が古里の葛尾村野行地区の思い出を語る時、その目は少年のように輝く。集落のどこに誰が住んでいたか、みんなで苦楽を共にした出来事など、鮮明に覚えている。現在は三春町に整備された村の復興公営住宅に妻の節子(94)と2人暮らしをしている。

 春はゼンマイやタラノメ、秋は多様なキノコが採れた。かつては材木の販売が好調で、遠方から業者が買い付けに来ていた。野行は村の中でも山間部にあるため、ほかの集落に負けないよう仲間と共にコメや蚕の品質を向上させた。戦中、戦後からの集落の歩みの中で、松本は生きてきた。2011年3月11日の東京電力福島第1原発事故までは。

 「村内では家の瓦が落ちたりする被害が出たが、俺の家は瀬戸物一つ壊れなかったんだ」。東日本大震災の揺れで大きな被害はなく、松本は沿岸部に住んでいた親族の避難を受け入れた。しかし、原発の状況が悪化し、会津坂下町への避難を余儀なくされた。やがて古里は帰還困難区域となり、三春町に住まいを定めた。

 子どもたちは独立して県外に住む。思い出が詰まった野行の家は解体した。車がないため、親族の車に乗せてもらい、春秋の彼岸とお盆に先祖の墓参りへ行くことで精いっぱいだ。「帰りたい思いはあるけど、ここも住めば都だ。郵便局や医者にもすぐに行ける。死ぬまでここに居るんだべや」。年齢もあり、帰らないことを決めた。

 松本が住む三春町の住宅は町中心部近くにある。「恵下越(えげのこし)団地」と呼ばれ、106戸の住宅が並ぶ。新型コロナウイルス感染拡大前は、団地の集会所に仲間が集まり酒を酌み交わした。話題はやはり、野行での暮らしだった。

 松本は得意の縄細工の技術を生かして三春町の神社にしめ縄を奉納するなど、三春町民との交流もある。しかし、震災から11年の時の流れを意識する時がある。「避難してから野行の人だけでも20人ぐらい亡くなったな」。かつて"満員"だった団地に少しずつ空きが出てきた。松本も、三春の住宅が「ついのすみか」と考えている。

 避難指示が解除される野行をどう思うか。「元通りになってほしいけど、難しいかもしんねえな」。色あせることのない記憶を胸に抱きながら、三春の地で古里の先行きを思う。(文中敬称略)

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 葛尾村 双葉郡北西部の阿武隈山系に位置し、農畜産業が基幹産業。東京電力福島第1原発事故で全村避難した。2016年6月、野行地区を除き村の大部分で避難指示が解除された。東日本大震災当時の住民は1567人。6月1日現在では震災前の約3割に当たる467人が居住し、うち131人は新規転入者。村民の多くは三春町や郡山市などの避難先で生活を再建させている。来春、村制100周年の節目を迎える。