【復興拠点解除・葛尾】古里の農地守る「分断生まない行政必要」

 
三春町に新しく構えた自宅の庭先で、野菜の手入れをする金谷さん。「どこにいても葛尾村民」と思う=6月2日、三春町八島台

 二地域居住の道 金谷喜一さん70

 三春町八島台の住宅地の一角に、ブルーベリーが実り、ジャガイモが生き生きと葉を茂らせる畑がある。「腕が鈍らないようにしないといけないよ」。農作物の手入れに汗を流すのは、葛尾村野行(のゆき)地区から避難してきた金谷喜一(70)だ。

 東京電力福島第1原発事故による全村避難の後、金谷は役場機能が置かれた三春町に居を構えた。近くに長男家族も住み、保育園に通う孫の世話をすることが何よりの楽しみだ。事故から11年の歳月は、避難先に根を張るには十分な月日だ。金谷は、三春町に住みながら野行の農地を管理するという「二地域居住」の道を選ぼうとしている。

 2011(平成23)年の原発事故は村総務課長として迎えた。当時の松本允秀村長の側近として事故直後の避難を支え、その後は副村長として三春町での役場機能の運営や復興公営住宅整備、村の復興計画作りに力を尽くした。さまざまな決断の場に立ち会った、村復興の証人の一人と言える。

 かつての葛尾について「辺ぴな場所と思うかもしれないが、福島市などの都市部には車で1時間以内で行くことができた。東京にもJR三春駅に車を止めて新幹線で行っていた。意外に便利だった」と振り返る。そうした環境から、3世代が広い家に同居し、そこから勤務、通学する生活が村に根付いていたと指摘する。「原発事故がなければ、山の中で平和に暮らしていた。そう思うと今も悔しいね」と語る。

 当時の予想現実味

 避難先の三春町で村の復興計画を作った際、松本村長(当時)らと共に「二地域居住の村になっても、やむを得ないんじゃないか」と予測していた。村の現在の居住人口は467人で、震災前の3割にとどまる。しかし、村内では荒廃した家や農地などは見受けられない。通いで手入れしているのだ。当時の予想は、野行に強い思いを持つ金谷自身を含め、現実味を帯びてきている。

 村では、ソバや大豆などの作物に活路を見いだす動きがある。金谷もソバの栽培に取り組む予定だ。ただ、時々考えることがある。「戻った人と戻れない人の間に分断はないか。住民票を残し、葛尾村民でいたいという人の思いに応えていく行政の在り方も必要ではないか」。野行の避難指示解除が葛尾の新たなスタートになれば。今はそう思う。(文中敬称略。この連載は渡辺晃平、菅野篤司が担当しました)