【復興拠点解除・大熊】古里も生活も大切...二地域居住で生きていく

 
更地となったナシ畑を見渡せる自宅で過ごす吉田さん。「前向きさを忘れず、穏やかに生きていきたい」と思う=23日、大熊町下野上

 いわきから自宅に通う 吉田邦吉さん(41)

 春に咲くナシの白い花は、大熊町の風物詩だった。「町の花」でもあるが、その花はもう、ほとんど見かけなくなった。東京電力福島第1原発事故による除染で、町内に約40カ所あったナシ畑の多くは、樹木が伐採された。特定復興再生拠点区域の下野上地区にある「吉田果樹園」もその一つだ。

 「うちは町内のナシ園の中でも新参者だが、1.3ヘクタールの農地には、両親が手塩にかけたナシの木が400本あった」。そう話すのは果樹園の長男吉田邦吉(41)だ。「初夏を迎えるこの時期になると、花粉付けの作業を手伝っていた、あの頃を思い出すね」。改築した自宅2階に立った吉田は、更地となった農地に、かつてのナシ畑の面影を重ねた。

 吉田は震災当時、父の邦夫(73)のナシ園を手伝いながら、学習塾を営んでいた。ゆくゆくは家業を継ごうと考えていたとき、原発事故が起きた。「永年作物のナシは、商売として成り立つまでには10年以上かかる。重労働で人手も必要。その頃には私も50代か」。ナシ園の再開は厳しいと考えている。

 大熊の自宅は改築し、住める環境を整えた。日中は父と共に、避難先のいわき市から通いで農地の保全に取り組んでいるが「帰りたくても帰れない」というのが実情だ。病気がちの母を診られる病院は近くになく、震災後に家族を持った吉田の生活も、震災11年の歩みの中でいわき市に根付いた。

 「『帰らない』というより『帰れない』というのが本当のところではないか」。震災後、雑誌編集長として古里について思いを巡らせた吉田は、多くの町民が置かれている現状を代弁する。

 「われわれは離散民。一方で、町民は避難先で温かい支援をたくさん受けてきた。もどかしさを抱えながら、前を向いて生きている」。吉田は自宅の避難指示が解かれる30日、自らの「避難者」という自覚に別れを告げ「二地域居住者」になろうと決めている。

 「これだけ傷付いた土地だからこそ、大熊は人の痛みを知る優しい土地になった」。吉田はある日、住宅跡地にいすを置いて、ぽつんとくつろぐ町民の姿を目撃した。詳しい事情は知らないが、気持ちは「わかるなあ」と感じた。吉田はそこに古里の存在価値を見いだした。「どんなことがあっても、ここは私たちの古里。前向きさを失わないように、いわきと大熊で、穏やかに生きていきたい」。今はそう思っている。(文中敬称略)