【復興拠点解除・双葉】明るい未来この手で 古里で事業再開へ

 
「入居者募集中」ののぼり旗を掲げる大沼さん(手前)ら家族=29日午後0時50分、双葉町

 不動産経営 大沼勇治さん 46歳

 「Re Start(リスタート) 入居者募集中」。双葉町の目抜き通りに立つアパート脇に、新しい看板が立った。「満室になる光景を早く見たいですね」。不動産業を営む大沼勇治(46)は目を細めた。あの日から11年半にわたり無人だった古里に、再び生活の明かりがともろうとしている。

 仙台のように

 アパート脇にはかつて、別の看板があった。「原子力明るい未来のエネルギー」。原子力を推進するPR看板で、町が1991(平成3)年に設置した。その標語を考えたのが当時、双葉北小6年生だった大沼だった。原発を推進する標語を考えてくるようにと宿題が出され「仙台のような大都会になってほしい」と思いを込めた。標語は優秀賞に選ばれた。看板の下を人々が行き来するのを見ると誇らしかった。東京電力福島第1原発が立地する町では、町役場やJR双葉駅舎など、新しい立派な建物が次々にできた。

 大学の編入などで県外に出た大沼が町に戻ったのは29歳の時。祖母が残した畑を活用できないかと考え、不動産会社で営業をする傍ら、自らアパートを建てて賃貸経営を始めた。計6戸の物件は東電関係者や銀行員らで満室になった。「この町で自分の事業も拡大させたい」と思っていた矢先、原発事故が起きた。

 「望んでいたのは、こんな未来じゃなかった」。震災後、全国各地の集会に参加し、自らの経験を語った。妻せりな(47)と避難した愛知県では長男勇誠(11)、次男勇勝(9)が生まれた。古里を失ったショックで働く気になれなかったが、家族を養わなければならない。2014年に茨城県古河市に一家で移り住んだころ、再生可能エネルギー事業を始めた。不動産会社の経験を生かし、安価な土地を見つけて太陽光パネルを設置した。原発事故を経験し、自分で電気を賄いたいと考えた。

 動き出す時間

 昨年3月、原発事故後初めて、家族4人で双葉町のアパートに足を踏み入れた。干しっぱなしの洗濯物や床に散らばったおもちゃなど、入居者が残した物が部屋にあったが、息子たちは楽しそうに部屋中を駆けた。そんな姿に、止まっていた時計が動いたように思えた。その日の夜、宿泊先の浪江町のホテルで次男がふと口にした。「双葉が好き。双葉に住みたい」。大沼は古里での事業再開を決意した。

 大沼の自宅とアパートは避難指示が解除となる特定復興再生拠点区域(復興拠点)にある。29日、一家は解除の瞬間を古里で迎えようと、自宅を訪れた。アパートは今秋から入居を受け付ける予定だ。大沼は物件に「入居者募集中」ののぼり旗を立て、息子たちに「ここはずっと人が住めなかったが、明日から住めるようになるんだ」と語りかけた。そして「ここから新しい未来をつくる」と空を見上げた。当面は生活の拠点を茨城県に置きながら、町の復興のために活動するつもりだ。自らの手で再び「明るい未来」を切り開きたいと願う。(文中敬称略)

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 この連載は渡辺晃平、渡部俊也、菅野篤司が担当しました。