【只見線再開通】会津塩沢駅/思い出の場所...「感謝」伝える花壇

 
「感謝」と書かれたのぼり旗を立てた菅家さん。「復旧に携わった全ての人に感謝を伝えたい」と話す

 JR只見線の下り列車が金山町から只見町に入り最初に停車するのが会津塩沢駅だ。線路沿いの花壇に植えられた花が「感謝」と書かれたのぼり旗と共に静かに揺れている。地元・塩沢地区老人会の会長菅家芳雄さん(82)にとって只見線は青春の思い出が詰まった大切な場所。再開通への感謝の思いを伝えようと、老人会の仲間と一緒に花壇を整備し、旗を掲げて列車が再び走る日を心待ちにしている。

 菅家さんが只見線に愛着を持つようになったきっかけは60年以上前のことだ。高校3年になる春休み。父親の知り合いだった建設会社の幹部に誘われ、トンネル工事現場でアルバイトをした。そのトンネルは会津大塩駅(金山町)と会津塩沢駅を結ぶ滝トンネル(延長1.7キロ)。つるはしを使って掘り進めたことが思い出に残る。「貫通した日の感激は今も忘れることができない」

 高校を卒業後、上京するため只見線に乗って会津若松市に向かった。菅家さんは「車内で汽笛のきれいな音を聞いた。今思えばあれこそが青春だったなあ」と懐かしむ。

 新潟・福島豪雨直後で只見線は被災した。被害の大きさを知り「復旧費もかかるし、もともと利用客も少ない。再開通は無理かな」との不安が頭をよぎった。

 その分、再開通が決まった時の喜びは大きかった。「再開通を決めたJRや県、現場で工事する関係者、鉄道ファンなど復旧に携わる全ての人に感謝を伝えたい」。菅家さんは老人会の会員に協力を呼びかけ、線路沿いの約30メートルを花壇として整備。最近になって「感謝」ののぼり旗を10本作り、掲示した。「嫌な顔ひとつせず、みんなが協力してくれるのがうれしい」と菅家さんは目を細める。

 不通となる前、河井継之助記念館や地元のそばを目当てに塩沢地区を訪れる人がいたが、新型コロナウイルスの感染拡大も重なり少なくなった。菅家さんは「住民が只見線を大切に守っていかないといけない。只見線がなくなったら観光も成り立たない」と話す。

 「観光客にぜひ見てほしい場所があるんだ」。菅家さんはそう言うと、かつて工事に携わった滝トンネルの入り口近くに向かった。只見川の雄大な流れが眼下に広がる。「ここできれいな水を見ると、何度だって感激する」。トンネルを抜け、絶景を目にした乗客が笑顔になる日を思い描く。

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 会津塩沢駅 1965(昭和40)年2月に開業した無人駅。田んぼに囲まれ、駅の北西側には山林が見える。駅のある塩沢地区は長岡藩家老・河井継之助が戊辰戦争で長岡から会津へ向かう途中で亡くなった地で、駅から徒歩10分の場所に河井継之助記念館がある。