哲学で復興ひもとく 双葉・伝承館開館2年、被災者の思い言語化へ

 
「被災者が抱く思いを整理し、言語化したい」と話す山田さん

 哲学の立場から震災について研究することは、人がよりよく生きることにつながるのだろうか―。東日本大震災・原子力災害伝承館(福島県双葉町)の常任研究員として今春着任した浪江町出身の山田修司さん(34)は、専門の哲学を通じて震災や復興を巡る難題をひもとく試みを続けている。哲学は時に空論とされるが、山田さんは現場に足を運び、被災した県民の言葉にならない思いを紡いでいる。

 「浪江は子どもの古里にできないが、私の古里は浪江です。それは忘れません」「避難先で仕事を再開し、自立した生活を手に入れた。私はもう避難者ではありません」―。浪江町が実施した住民意向調査報告書の自由記述欄には、町民の複雑な思いが交錯していた。そこで山田さんは考える。「古里とは何だろうか」「避難者とは何だろうか」と。

 郷土を追われ、今も避難先で生活する県民がいる一方、被災地では帰還者や移住者による復興が進む。「避難者なき被災地の復興はあり得るのか」「避難先での生活はどんな意義を持ち得るのか」―。山田さんは再び思考を巡らせる。被災者一人一人が抱く思いを整理、言語化し、「人間」「社会」「科学技術」の三つの関わり合いの中で、人がよりよく生きられる道を探している。

 山田さんは、浪江町田尻地区の実家で被災。津波被害は免れたが、東京電力福島第1原発事故で避難を強いられた。家族と避難先を転々とし、約1カ月後の4月末に岩手県にある大学の下宿先に戻ったため、そこで「避難生活」を終えた。そこで一つ、自身の中で迷いが生まれた。「私は浪江町民なのか」と。実家は浪江町にあるが、帰省するのは県外にある両親の避難先。この迷いは、ほかの被災者にも共通する課題の一つだと感じた。

 東北大大学院に進学し、研究者の道を歩む訓練を積むうちに「机上だけで答えは見つからない」と思い、いわき市でフィールドワークを重ねた。凄惨(せいさん)な津波被災地にあっても、原発事故を経験した人々と同じく、課題がむき出しになっていた。古里に戻る、戻らない、戻れる、戻れない―。被災者とのさまざまな対話を通じて、研究者として被災者の置かれた状況、思いを分析し、応答したいと思っている。

 山田さんは「頑張っている人々が報われてほしい。そんな人々の思いを言葉にし、人がよりよく生きることに貢献したい」と語る。教訓を後世に残すための長い挑戦は、まだ始まったばかりだ。(渡辺晃平)