古関裕而、野球殿堂入り 福島県2人目、応援歌作曲で普及貢献

 
野球殿堂入りを果たした古関裕而(古関裕而記念館提供)

 野球殿堂博物館(東京都)は13日、今年の野球殿堂入りのメンバーを発表し、福島市出身で夏の全国高校野球選手権の大会歌「栄冠は君に輝く」などを手がけた作曲家の古関裕而が選ばれた。古関は野球の普及発展に貢献した人が対象の「特別表彰」を受賞。特別表彰の候補者に選ばれたのは4年連続5度目で、念願の殿堂入りを果たした。

 古関は巨人の球団歌「闘魂こめて」や阪神の球団歌「六甲おろし」、早稲田大の応援歌「紺碧の空」、慶応大の応援歌「我ぞ覇者」など数多くの野球関連の楽曲を手がけた。1964年の東京五輪で流れた「オリンピック・マーチ」なども作曲。古関の楽曲は"古関メロディー"として親しまれ、野球にとどまらずスポーツシーンを音楽で盛り上げてきた。

 福島市や福島商工会議所、福島民友新聞社などでつくる「古関裕而氏の野球殿堂入りを実現する会」が2018年から毎年、古関の功績をまとめた推薦書を提出。20年から4年連続で候補者となり、22年は1票差で殿堂入りを逃していた。

 古関は20年に放送された朝ドラ「エール」の主人公のモデルとなった。21年の東京五輪閉会式では「オリンピック・マーチ」が流れるなど全国的に関心が高まり、殿堂入りを推す声が広がっていた。

 都内で開かれた記者会見に出席した古関の長男・正裕氏(76)=東京都=は「父は運動が不得意だったので、殿堂入りは夢にも思っていなかったと思う。多くの曲が歌い継がれており、皆さんの気持ちを奮い立たせ、心や記憶に残るメロディーなのだろう」と喜びを語った。

 殿堂入りを受け、実現する会は福島市でセレモニーを行い、会長の木幡浩福島市長は「殿堂入りの栄冠に輝いた。昨年は1票足らずで逃していただけに、この上ないうれしさがある」と話した。

 野球殿堂は日本野球の発展に貢献した人をたたえ、顕彰することを目的に1959年に創設された。殿堂入りすると、表彰レリーフが野球殿堂博物館内の殿堂ホールに掲額される。

 本県出身者の野球殿堂入りは、プロ野球第10代コミッショナーを務め、プロ・アマの協調体制を加速させたとして2006年に特別表彰を受けた故川島広守さん(会津若松市出身)に続いて2人目。

 今年は、プロ野球の外国出身選手最多の通算2017安打を記録した元DeNA監督のアレックス・ラミレスさん(48)、阪神で2度の三冠王に輝いたランディ・バースさん(68)も選ばれた。殿堂入りは今年の3人を含め215人となった。

 長男・正裕さん感無量「天国で死ぬほどびっくり」

 「さまざまなシーンで、いまだに多くの人たちが(古関裕而が作曲した楽曲を)歌ってくれているよと伝えたい」。東京都内で13日に行われた野球殿堂入りの通知式に臨んだ古関の長男正裕さん(76)=東京都=は、野球界も盛り上げた偉大な作曲家だった父への思いを口にした。

 古関メロディーが世代を超えて野球界で広く歌い継がれ、野球熱を高め続けている功績が評価された。正裕さんは式後の記者会見で「父は天国で死ぬほどびっくりしていると思う」と語り、天上の父の表情に想像を膨らませた。

 古関は高校野球でおなじみの「栄冠は君に輝く」や巨人の球団歌「闘魂こめて」、阪神の「六甲おろし」、早大の応援歌「紺碧の空」など野球にまつわる数々の名曲を世に送り出した。

 正裕さんは「家では仕事の話をしなかったので、どんな曲を作っていたのかは分からなかった」と振り返る一方で「曲を頼まれた時は時間が許す限り現地に赴いて自然や学校、生徒たちの姿を見に行っていた」と曲作りと向き合う古関の姿勢を思い返した。

 だからこそ、古関メロディーは輝きを失わず選手を鼓舞し、ファンに口ずさみ続けられている。正裕さんは「歌う人たちのことを思い浮かべていたことや、一人一人を応援する気持ちが強くあったことが、今でも多くの人たちから愛されている理由だと思う」と父の功績をたたえた。

 地元の熱意が実を結んだことから「『古関裕而の街福島市』と言ってくれるほど取り上げてくれた結果が殿堂入りにつながった」と応援してくれた人たちへの感謝の言葉を繰り返した。

          ◇

 古関裕而(1909年8月11日~89年8月18日) 本名は勇治。福島市で有数の呉服店「喜多三」の長男として生まれ、幼少期に作曲を始めた。福島商業学校(現福島商高)を卒業後、川俣町での銀行員時代に国際作曲コンクールで全国に名が知れ渡った。30年に日本コロムビアの専属作曲家となり、戦時歌謡で名を上げ、戦後は歌謡曲などで活躍した。総作曲数は5千曲を超え、スポーツ、ラジオドラマ、歌謡曲、演劇、校歌・社歌など多岐にわたる。80歳で死去。