「冬までに」火発所員奮闘 震度6強地震1年、復旧へ粘り抜いた

本県沖を震源に最大震度6強を観測した昨年3月の地震から、16日で1年となる。甚大な被害を受けた相馬共同火力発電の新地発電所(新地町)は、電力需給の逼迫(ひっぱく)が懸念される中、復旧を急ぎ、破損した1、2号機の発電をこの冬までに再開させた。所員は「地震を乗り越える過程で得た経験と技術は、大きな財産になった」と振り返る。
「ただごとではない」。ボイラー・環境チームリーダーの佐藤秀一さん(49)は深夜に起きた地震から一夜明け、1号機ボイラーの被害に目を疑った。地震発生時、運転中だった1号機は、激しい揺れで自動停止した。
朝になってもボイラー内に熱が残り、立ち入れなかったが、ボイラーを覆うケーシング(保護材)がめくれ上がっているのが一目で分かり、内部の被害の大きさが想像できた。
後にケーシングの被害は、ボイラー内部の配管の損傷が原因だと判明。ボイラー前壁の配管487本は全て破断していた。東日本大震災でも、2021年2月の地震でも経験がない被害だった。
新地町では昨年3月の地震で震度6弱を観測、21年の震度6強より震度は低かったが、発電所内の計測機では572の揺れを記録。21年の444、東日本大震災の372を上回る揺れだった。電気チームリーダーの三坂光一さん(51)は「被害の全体が見えてくるまで相当な時間が必要だった。復旧がいつになるか、想像もつかなかった」と語る。
発電再開に向けた工程を巡り、会議は白熱した。副所長の田鹿元昭さん(55)は「何としてでも(電力需要が高まる)冬には間に合わせなければならないとの思いがあったが、果たして可能なのか、という議論の毎日だった」と明かす。
冬までの再開という目標に向け所員は必死だったが、復旧には度重なる災害の経験も生きた。佐藤さんは21年の経験から、1号機タービンの被害状況を確認していち早く部品交換を決断、方向性をメーカーに伝えた。部品の調達に苦労を重ねた三坂さんは、メーカーとの調整を粘り強く続け、協力を取り付けていった。
10月、1号機の試運転が始まり、発電所の煙突から冷え込み始めた秋空に煙(水蒸気)が立ち上った。その後、1号機は昨年11月11日、2号機も1月13日に発電を再開。所長の高根沢利夫さん(55)は「震災で発電所は全面が被害を受け、私たちは絶望した。それでも、その年の12月には発電を再開させた。そんな経験をしている人が、ここにはたくさんいる。できないはずはないと思っていた」と復旧までの歩みを振り返った。
発電所では、石炭を陸揚げする「揚炭機」なども被害を受け、地震の影響はいまだに尾を引く。所員の奮闘はこれからも続いていく。(丹治隆宏)