会津藩主松平容保の歌碑、所在不明 若松、宅地開発中の攬勝亭

攬勝亭にあった松平容保の歌碑(会津若松市教委提供)
会津若松市の日本庭園・攬勝亭(らんしょうてい)の跡地で進む宅地開発で、開発業者が跡地に保存を予定していた会津藩主松平容保の歌碑の所在が分からなくなっている。
市によると、歌碑は高さ約85センチ、幅約60センチ、厚さ約25~40センチで、明治時代に造られた。容保が攬勝亭を訪れたとされる安政6(1859)年10月19日の日付が刻まれている。文化財には指定されていない。
市は攬勝亭にあった石碑などのうち、容保の歌碑と江戸時代の俳人九華堂東三の句碑の二つは歴史的価値が高いとして、宅地内の緑地に保存するよう開発業者に依頼。業者側も保存する方針で、歌碑と句碑を緩衝材に包んで現地に保管していた。しかし、開発業者と市教委文化課の担当者らが昨夏、中身を確認すると別の石が包まれていたことが分かった。
市に攬勝亭の保存活用を求めてきた市民有志でつくる「攬勝亭を守る会」の高瀬淳会長は「会津の人たちにとって容保は大事な人。歌碑には容保が訪れた日付が刻まれており、歴史的価値がある」と話している。