【未来この手で】第2部・七転び八起き 「双葉ダルマ市」再び

双葉町消防団 福田一治さん 52
2011年3月11日、双葉町の福田一治は体験したことのない揺れを感じた後、所属する町消防団第2分団の屯所に駆けつけた。一刻も早く消防ポンプ車で出動したかったが、激震でゆがんだ電動シャッターは動かない。「やるしかないな」。ポンプ車に乗りアクセルを踏み込んだ。メリ、メリ―。車体でシャッターを無理やり押し上げ、JR双葉駅近くの屯所から東の方角に向かった。
国道6号を越えて目を疑った。「なんでこんな所に海があるんだ」。既に東日本大震災による津波が押し寄せていた。第2分団は、福田が屯所から出してきた消防ポンプ車をフル回転させ、住民の避難誘導や避難所への物資の運搬などに夜通し取り組んだ。しかし12日朝には、東京電力福島第1原発事故で団員それぞれが散り散りに避難を余儀なくされた。
福田は地元で人材派遣業の福田工業を営み、消防団や町商工会青年部に入っていた。そのため、毎年1月に行われる伝統の「双葉ダルマ市」などの地域活動に深く関わってきた。避難先のいわき市で事業再開した後、夏に花火があがるのを見た。「なんだか寂しい色だ。俺はいつ双葉に帰れるのかな」。常に豪気な福田だったが、震災からの生活の変化や古里への思いなど複雑な感情がこみ上げ、知らぬ間に涙を流していた。
きっかけは秋祭り やがて、双葉町がいわき市勿来地区の南台に町民向けの仮設住宅を整備するという話を聞いた。福田は第2分団の仲間に声をかけ、南台仮設に入居した。昼はそれぞれの仕事に汗を流していたが、夜に集まって杯を酌み交わすと話題はいつも決まっていた。「俺たち、なんでここにいるんだろうな」。転機となったのは11年秋、いわき市内の支援団体が仮設で大鍋の振る舞いを企画したことだった。「時間はあるし、便乗して何かやるか」
消防団の仲間だけあって、決まれば動き出すのは早い。各種イベントのノウハウを知る福田が主導し、なんとか資材をかき集め、仮設で手作りの秋祭りを開いた。焼きそばやクレープの屋台を出し、子ども向けにくじ引きも行った。まだ入居者も少なく、どこか寂しい南台の仮設ではあったが、久しぶりに楽しい気分になった。福田は「震災になっても祭りはできるんだな」と感じていた。
祭りが終われば反省会。仮設に住んでいた消防団メンバーも、福田と同じような充実感を共有していた。どこか行き場のなかったエネルギーが祭りに向かい、それをみんなが喜んでくれた。酒が進むうち一つの提案が出された。「俺たちでダルマ市もやらないか」。福田とその仲間たちが、伝統の継承者となる始まりだった。(文中敬称略)
◇
双葉町は8月30日、JR双葉駅周辺の特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示が解除されて1年となる。連載企画「未来この手で」第2部は、伝統の双葉ダルマ市が避難先で継承され、双葉町に帰還するまでの物語を紹介する。
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