【未来この手で】第2部・七転び八起き 受け皿、夢ふたば人発足

 
震災前の双葉ダルマ市でにぎわいを見せた長塚商店街通りを歩く中谷さん=5日、双葉町

 会社員 中谷祥久さん 43

 2011年秋、福田一治ら東京電力福島第1原発事故によりいわき市に避難中の双葉町消防団第2分団の仲間は、住んでいた南台仮設住宅内での秋祭りを成功させた。「本当に楽しかったな」。ある時、福田と、福田の四つ先輩の佐々木希久(まれひさ)、福田が営む福田工業の社員であった中谷祥久の3人で反省会を開いた。杯が進む中で、佐々木が「俺たちでダルマ市もやったらどうかな」と切り出した。

 双葉ダルマ市は、江戸時代から続く双葉町の新春恒例の祭りだ。JR双葉駅前の長塚商店街通りを歩行者天国にして、ダルマや縁起物などを売る露店が軒を連ねる。「巨大ダルマ引き」では町民が二手に分かれてダルマを引き合い、1年の商売繁盛や豊年満作を占った。そのダルマ市を自分たちでやってみようという佐々木の提案に「俺たちならできるでしょう」と、長塚商店街通り生まれの中谷も賛同した。

 賛同に変えた熱意

 だが、福田は瞬時に「できるわけねえだろ」と反発した。ダルマ市は、町や商工会などの各種団体が協力して実施してきた一大イベントだった。町商工会青年部として運営に関わってきた福田だけに、消防団の仲間で行うのは難しいだろうと直感したのだ。その時、中谷が言った。「双葉といえばダルマ市だよ。いつ帰ることができるか分からない中だけど、やればみんなが集まるんじゃないか」。福田は、佐々木と中谷の熱意に押されて「じゃあ、やるか」と腹を決めた。

 やるからには第2分団の仲間を核にしながらも、広がりを持った受け皿の団体をつくらなければならないと考えた。名称を決めたのは、福田と中谷だった。「団体の名前は何にする」「夢とふたばという言葉は入れたいよね」「何か足りないな」「人を入れようか」「夢ふたば人か、いいね」。このようなやりとりがあって11年12月、運営団体の「夢ふたば人」が発足した。初代会長には佐々木が就いた。

 当時、双葉町は役場機能を埼玉県加須市の旧騎西高に移していた。いわき市の南台仮設住宅でのダルマ市開催の動きは、「夢ふたば人」が主体となってのゼロからの挑戦だった。福田はインターネットで報道機関の連絡先を片っ端から調べて、ダルマ市を行うとのリリースをファクスで流しまくった。中谷は「俺もやりたかったけど、なんだかんだ言ってやっぱりこの人が一番やりたかったんだ」と感じたという。

 双葉町民は原発事故により県内外に散り散りに避難し、それぞれが慣れない土地での生活を余儀なくされていた。やがて、町民の間で「いわきの南台仮設でダルマ市やるらしいよ」との情報が口コミで広がっていった。(文中敬称略)