【未来この手で】第2部・七転び八起き 復興住宅でもダルマ市

 
双葉北小で行われた1984年3月に巣立った卒業生のタイムカプセル掘り起こし。福田さん(手前右から2人目)ら8人の卒業生が立ち会った=2019年11月22日

 江戸時代から続く双葉町の新春の恒例行事「双葉ダルマ市」は、東京電力福島第1原発事故による全町避難を乗り越え、福田一治や中谷祥久ら「夢ふたば人」の手でいわき市の南台仮設住宅で継続された。2012年は開催するだけで精いっぱいだったが、13年1月には原発事故前と同じように2日間の開催に戻した。これ以降、「夢ふたば人」によるダルマ市は避難中の双葉町民の歳時記の一つとなった。

 双葉町は当時、役場機能を埼玉県加須市の旧騎西高に置いていた。13年3月の町長選で伊沢史朗が初当選し、同年6月17日には役場機能がいわき市に戻った。双葉町の大半は当面は帰ることのできない「帰還困難区域」、沿岸部の中野地区などが「避難指示解除準備区域」となっていた。このため、役場機能を県内に戻すには、浜通りのいわき市が適していた。

 14年1月のダルマ市の後には、除染で出た廃棄物を集約、保管する中間貯蔵施設を本県に設置する議論が本格化していく。第1原発が立地している双葉町は、大熊町とともに有力な候補と目されていた。そして15年1月のダルマ市の数日後、伊沢は町議会の全員協議会で中間貯蔵施設の建設受け入れを表明する。町が激動の道を歩む中、「夢ふたば人」は2代目会長に中谷を選び、16、17年とダルマ市を開催し続けた。

 移った生活拠点

 古里への帰還が実現しない中、双葉町民はそれぞれの避難先で生活再建を進めていた。県と双葉町は各地で復興公営住宅の整備を開始し、仮設住宅からの住み替えを促した。ダルマ市の会場だった南台仮設住宅も閉鎖されることになり、18年のダルマ市が南台仮設での最後の開催となった。19年からのダルマ市は、いわき市の復興公営住宅「勿来酒井団地」に移して行った。会場が変わっても、ダルマ市は変わらぬにぎわいを見せた。

 19年11月、福田は「夢ふたば人」とは違う形で古里に向き合っていた。双葉北小を1984年3月に巣立った卒業生の間で、校庭に埋めたままになっているタイムカプセルを掘り起こそうという機運が盛り上がり、行動力がある福田が中心となって実施することになったのだ。

 福田が校庭を1メートルほど掘ると、まず成人したらみんなで飲もうと埋めていたワインやウイスキーが出てきた。「どんだけ酒が好きなんだよ」と盛り上がった。続いて茶色のつぼが掘り起こされ、中には似顔絵を描いた版画や小テスト、埋めた日の新聞などが入っていた。

 「懐かしいね」と語りながら現場に立ち会ったのは福田を含め8人。そのうちの1人が、町民が集まる店を双葉町内で再開することになる。(文中敬称略)