【未来この手で】第2部・七転び八起き 「呼ばれている」双葉へ

 
2020年6月に開発した新感覚のタオルブランド「ダキシメテフタバ」を手にする浅野さん

 浅野撚糸社長 浅野雅己さん 63

 「福島復興を助けてほしい」。2019年3月、浅野撚糸(ねんし)(岐阜県安八町)社長の浅野雅己は、経済産業省の「繊維の将来を考える会」で、同省の女性課長に声をかけられた。浅野は独自技術で吸収力が優れた「エアーかおる」の開発とブランド化に成功し、構造的な不況から奇跡的なV字回復を成し遂げた敏腕経営者だ。その経験と実力を買われた依頼だった。

 その頃、浅野は60歳を迎えようとしていた。後進に道を譲ることも考える時期で、「引き受けるには大変な資金と労力が必要だ」と二の足を踏む案件だった。一方、一人の日本人として東日本大震災からの復興にほとんど携われていない自分に後ろめたさがあった。そして、福島は縁のない土地ではなかった。その年の夏、進出を視野に本県の被災12市町村を巡った。

 12市町村の中で唯一、首長が案内役を買って出たのが、東京電力福島第1原発事故による全町避難が続いていた双葉町だった。町長の伊沢史朗は「この町を何とかしたい」と、将来の構想を熱っぽく語った。だが、二人の目の前に広がっていたのは、荒廃したままの厳しい景色。そこで伊沢は、浅野に「双葉町でなくても構わない。双葉郡に来てくれたら、それでもうれしい」と訴えた。

 浅野は「正直な人だ」と感じながら、さらに人けのない商店街を見つめた。すると、不思議な感覚にとらわれた。「建物が生きていて、主人の帰りを待っているように見える。哀れではない、かわいそうでもない。町に"抱き締められている"ようだ」。岐阜に帰る車中で「呼ばれている気がする。銀行が支援してくれるなら、行くなら双葉町だ」と、決意を固めた。

「恩返し」が原動力 浅野と本県との縁は、40年以上前にさかのぼる。学校の体育教諭になることが夢だった浅野は、福島大教育学部で学んだ。岐阜に帰り4年間、教員として勤務した後、父の意をくみ家業を継いだ。「どこかで福島に恩返ししたい」。心中の思いが、新型コロナウイルスの感染拡大や雇用確保などの不安を抱えながらの経営判断の原動力になった。

 腹をくくった浅野は19年10月、岐阜で開いた会社設立50周年パーティーで、駆け付けた伊沢と共に双葉町への進出を発表した。そして、20年6月には双葉町での経験を基に、包み込まれるような新感覚のタオルブランド「ダキシメテフタバ」を開発した。

 浅野の新工場開設に向けた準備が進む中、町と政府のJR双葉駅前を中心とした特定復興再生拠点区域(復興拠点)の避難指示解除を巡る協議も本格化していった。22年7月26日、双葉町の全町避難が解消される日が、8月30日に正式決定した。(文中敬称略)