二本松「岳山変事」忘れない 山崩れで63人犠牲、200回忌法要

 
法要で献花する大内社長

 二本松市の岳温泉の前身「陽日(ゆい)温泉」が被災し、63人が犠牲となった1824(文政7)年の山崩れ「岳山変事(だけやまへんじ)」を後世に語り継ぐ「文政7年岳山変事顕彰会」は7日、二本松市の岳山変事供養観音前で200回忌法要を行った。

 岳温泉はかつて、安達太良山山中の「鉄山」の直下に湧出地と温泉街があり、陽日温泉として栄えた。山崩れは1824年8月15日(新暦9月7日)夜に発生。台風で鉄山山腹が崩落し、200人超の死傷者を出す大惨事となった。二本松藩が直ちに救助活動や支援に当たり、温泉場は移転を余儀なくされた。

 法要には関係者約30人が出席。岳温泉管理株式会社の大内正孝社長が献花した。同顕彰会長の鈴木安一岳温泉旅館協同組合代表理事が「江戸時代の大惨事、そしてその後の引き湯とまちづくりのことなども継承する。50年後も250回法要が催されることを願う」とあいさつした。

 顕彰会は今後、岳山変事の被災者、支援活動従事者の子孫や研究者などを会員として募集し、調査研究や顕彰などに取り組んでいく。