継承・松川事件【無罪から60年・中】 著作権と劣化、研究の壁に

 
「事件を単体の史実として捉えるのではなく、事件から冤罪事件の在り方を考え続けるのが重要」と話す初沢教授

 福島市松川町の松川事件の発生現場近くにキャンパスを構える福島大に「松川資料室」がある。松川事件の裁判資料や元被告からの手紙など、収集や寄贈によって集められた貴重な資料約10万点が収蔵されている。当時を伝える貴重な記録と記憶を継承する役目を持つ一方で、課題も多い。

 「資料の保存と解析が研究室の使命の一つ」。研究員である同大教員らは、昨年10月に元被告最後の生存者だった阿部市次さん=享年(99)=が亡くなったのを機に、検察の証人尋問や獄中での記録を記した元被告らのノートを読み解き始めた。走り書きで解読が困難なものが多いが、複写物を作ることを目標に歩みを進める。

 許可を得たのは7人

 だが、著作権の問題が立ちはだかる。資料室の室長を務める初沢敏生教授(61)=人間発達文化学類長=は「松川研究を思うように進められないのがもどかしい」と焦りをにじませる。

 獄中から無罪を訴え続けた元被告らの手紙は「著作物」に当たる。そのため、死後70年が経過しないと許可なく研究の引用資料として使用することができない。元被告20人のうち、生前に許可をもらえたのは7人のみだ。

 許可を得ていない元被告の遺族に協力を依頼したが、「(犯人とされていた)当時を思い出したくないので放っておいてほしい」と断られたという。資料として論文に引用できない以上、研究を進められない。初沢教授は「遺族の気持ちは尊重しなければならないが、研究ができなければ世間の関心が薄れてしまう」と警鐘を鳴らす。

 資料の適切な保存も長年抱える大きな課題だ。月日の経過とともに、劣化も刻一刻と進んでいる。初沢教授によると、当時の紙は酸性が強く、放置しておくと「灰になってしまう」ため、劣化を防ぐ処理が必要だ。資料室には元被告らが残したはがきや書簡などがファイルに入れられて保存されているが、多くが黄ばみ、鉛筆の筆跡は薄れつつある。

 元被告たちの逆転無罪を決定付ける証拠の一つとなった「諏訪メモ」など一部資料には処理を済ませたが、全てに施すには多額の経費と膨大な手間がかかるため、同様には手当てできていないのが現状だ。

 初沢教授は「多くの人から寄贈されて大切に残されてきた資料は何としても守っていかなければならない」と打開策を見いだしたい考えだ。

 松川事件が現代に託したものについて、初沢教授は「事件を単体の史実として捉えるのではなく、事件から冤罪(えんざい)事件の在り方を考え続けるのが重要」と強調する。今後の資料保存については「これから先10年が正念場。現在の教訓として事件を生かすために、今後も継承の道を模索していきたい」と決意を口にする。

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 松川資料室 福島大が松川事件の現場に近い現在地に移転したことを契機に、1984年から同大の教授らが資料収集事業を開始、88年に資料室を開設した。元被告のうちの一人のアリバイが記録されていたことで全員の逆転無罪につながった重要な証拠「諏訪メモ」をはじめ松川事件や裁判、救済運動に関する資料など10万点が収蔵されている。