浪江「南津島の田植踊」15年半ぶり復活 学生ら伝統つむぐ

東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の影響で存続の危機にあった浪江町津島地区の伝統芸能「南津島の田植踊」が22日、約15年半ぶりに津島地区で復活した。南津島郷土芸術保存会と伝統継承を手伝う東北学院大(仙台市)の学生たちが二人三脚の踊りを披露し、津島の伝統をつむいだ。
南津島の田植踊は、住民が激減した江戸時代の「天明の飢饉(ききん)」後に盛んになり、約200年前から伝わる。例年2月に家々を回り、五穀豊穣(ほうじょう)や無病息災などを願って踊られてきた。津島地区で最後に披露されたのは、2008年2月だった。その後、津島地区は原発事故で全域が帰還困難区域になってしまった。
伝統の継承には津島地区出身で東北学院大文学部歴史学科3年の今野実永(みのぶ)さん(21)の熱意があった。「震災後、津島の人たちに会える機会が田植踊だった。古里の伝統を残していきたい」。今野さんは中学3年生の時に田植踊を始めた。踊り手は伝統的に男性と決まっていたが、保存会の三瓶専次郎会長(74)の誘いもあり、初の女性の踊り手となった。
しかし、原発事故で各地に離散した住民だけでの存続は難しかった。そこで同大の民俗学の講義の一環で、東北各地出身の学生約30人も踊り手や裏方として伝統をつないでいくことが決まった。今野さんが学生と津島のパイプ役となり、昨春から練習を重ねてきた。
田植踊は、浪江青年会議所が旧津島中で開いたイベント「標葉(しねは)祭り」で披露され、避難先から集まった津島地区の住民らがうれしそうに踊りを見つめた。踊りを見守った三瓶会長は「最高の喜びだ」と目を細めた。
当初は、津島地区出身者ではない学生たちが田植踊に参加することに葛藤もあった三瓶会長だったが、「若い彼らがいたから津島で復活できた。学生たちはきょうから『外部の人』ではなく『会員』になった」と話した。今野さんは「この絆と田植踊を未来につないでいきたい」と語った。(渡辺晃平)
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