地元学生や菓子店が協力...「信夫山のユズ」復活目指す

 
信夫山のユズを収穫する福島東稜高の生徒たち=9日午後、福島市

 福島市の信夫山で栽培が盛んだった特産品のユズの復活を目指すプロジェクトが9日、本格的に動き出した。東京電力福島第1原発事故による出荷停止や生産者の高齢化、人手不足を理由に出荷されていなかったが、市内の菓子店や学生らがプロジェクトに参加。かつて「北限のユズ」として知られた信夫山のユズを使った商品を発信する。9日は収穫作業が行われ、12年ぶりに希望の灯がともった。

 契機となったのは、昨年3月の出荷制限解除だった。ゆずあめやゆずまんじゅうも名物だったが、地元の菓子店が他県産で代用していたため、制限解除後も販路が課題となっていた。生産者の曳地清明さん(66)は、長年の付き合いがある市内の菓子店「菓匠清泉堂」の斎藤隆一社長(52)に協力を依頼。斎藤社長も「ぜひ信夫山のユズを使いたい」と応じ、応援の輪が広がった。

 今年は、市内の菓子店6店舗が信夫山のユズを使ったスイーツを販売する。また福島学院大短期大学部情報ビジネス学科の学生と、福島東稜高キャリアデザインコースの生徒がブランド化を手がける。大学生と高校生はロゴマークを制作したり、試食会や販売会を開いたりする予定だ。

 黄色く色づいたユズがたわわに実った信夫山の南斜面では9日、生産者や学生ら約20人が集まり、高さ約7メートルまで成長した木に向かって枝切りばさみを伸ばしたり、はしごで登ったりして、ユズを一つ一つ丁寧に収穫した。

 生産者の曳地さんは収穫作業を手伝う学生らの姿を見て「こんなに大勢が集まるなんて」と驚きながら笑顔を見せ、「信夫山にユズがあったことを忘れられないようにしたい」と語った。

 収穫に参加した同校の伊藤琉珈さん(2年)は「全国で有名になるくらいに広めたい」と声を弾ませ、同大の木村信綱教授(44)は「若者や地域の人などいろいろな人が関わることで、信夫山のユズが今後も残っていく」と期待した。(南哲哉)

 かつては「北限」

 信夫山のユズは原発事故で打撃を受けた。ユズの木はモモやリンゴと違って葉が1年間落ちないため、広範囲に放射性物質が付着し、2011年8月から出荷制限が出ていた。

 信夫山に詳しいNPO法人ストリートふくしま(福島市)によると、信夫山では江戸時代初期にユズの栽培が始まったとされる。1926(昭和元)年には430本の木があり、生産量は約10トンに上った。北海道など県外にも出荷されていた。現在は温暖化の影響で岩手県でも栽培されているが、かつては「北限のユズ」とされていた。