がれき、断水...遠い復旧 福島民友記者ルポ、避難生活続く

 
(上)避難先の金沢市から約3週間ぶりに戻り、自宅付近を歩く向平さん。家が押しつぶされるなど地区の現状に目を潤ませていた=28日午前11時20分ごろ、石川県珠洲市正院地区(多勢ひかる撮影)(下)被災した自宅で「死ぬまでこの家に住むと思っていた」と話す佐野さん。雪解け水が滴り、物が散乱していた=珠洲市宝立地区

 電柱がめり込み、1階部分が押しつぶされた住宅、津波に流されて建物に突き刺さった漁船―。能登半島の最先端に位置する石川県珠洲市は地震から1カ月が過ぎようとする今も、道路の復旧やがれきの撤去すらほとんど進まず、発災直後から時間が止まっているようだった。いまだに断水が続き、多くの市民が避難生活を送っており、復興への道のりの険しさを物語っていた。(報道部・石井裕貴、多勢ひかる、三沢誠)

 町一変、厳しい現状に言葉失う

 「あらー、こんなにぐっちゃーやが...」。市中心部から東に約3キロ離れた正院(しょういん)地区。この地で1人暮らしをしていた向平(むかいひら)曜子さん(86)は、避難先の金沢市から約3週間ぶりに自宅に戻り、地区の被災現状を改めて目の当たりにした。

 地震が発生した元日、向平さんが最初の揺れの後に自宅の外へ出ると、2度目の大きな揺れが襲った。しゃがみ込んだ目の前の道路に亀裂が入り、津波を恐れて高台にある小学校に避難した。自宅は何とか形は保っているものの、物が倒れて入るのは困難な状況という。「命だけは助かって良かった」。5日に金沢市から迎えに来た息子(62)と共に避難生活を続けている。

 向平さんは息子と地区内を歩き回り、押しつぶされて道路にはみ出した住宅や電柱が傾いたままの惨状を目に焼き付けた。定年退職した息子は実家に戻り、野菜やブドウの栽培を始めようとしていたが、古里の厳しい状況に言葉を失った。

 「(つぶれた家の住人は)みんな顔見知りだから本当に気の毒。こんなに町が変わってしまって涙が出る」。2人は今も現実を受け入れられない様子で、一軒ごとに足を止めると住人を思い浮かべてため息をついた。

 困っているのは「洗濯ができないこと」

 市中心部から南に約4キロの宝立(ほうりゅう)地区。見附島(みつけじま)がある観光地だったが、津波が押し寄せ、鵜飼漁港や沿岸部の住宅が壊滅的な被害を受けていた。「もうしっちゃかめっちゃかよ。無残やね」。地区の佐野貴美子さん(77)に、かつて土産物などを扱っていた商店兼自宅を案内してもらった。

 棚やテレビは倒れ、剥がれ落ちた壁材などが足の踏み場がないほど散乱。崩れた天井からは雪解け水がポタポタと滴っていた。「死ぬまでこの家に住むと思ってたけどねえ」

 幸いけがはなく、近くの宝立小中学校に夫や次男と身を寄せている。被災から約1カ月。佐野さんに一番困っていることを尋ねると「洗濯ができないこと」。避難所では支援物資や炊き出しがあり、トイレにも困らないが、断水解消の見通しは立っていない。洗濯物がたまると、自宅の離れに置きに来て、少しずつ物を片付ける生活を送る。

 庭に出て話を聞いていると、雪の下からにょっきり顔を出して芽吹く菜の花に気付いた。

 「春はそこまで来ているからね。落ち込んでばかりもいられない」。佐野さんは前を向き、力強くうなずいた。

 休日も市が相談窓口

 珠洲市役所は日曜日の28日も被災者支援総合窓口を開設した。地震から1カ月となる中、罹災(りさい)証明書の発行や生活再建に向けた相談が相次いでおり、この日も被災者が支援を求めて引きも切らずに訪れていた。

 「家が傾き、雨漏りして大変なの」と被災者が相談すると、窓口を担当する職員は「お体は無事ですか」「罹災証明書はお持ちですか」などと丁寧に対応していた。県外から駆け付けた医師や看護師らもひっきりなしに出入りし、入り口付近には他県から届いた大量の支援物資が並んでいた。

 市役所前では自衛隊による炊き出しが行われ、正午前から行列ができた。温かい食事を味わってもらおうと、毎日朝昼晩の決まった時間に食事を提供しているという。1カ月に及ぶ過酷な状況でも、少しでも早く元の生活を取り戻そうと一歩ずつ前進している住民や職員の姿が印象的だった。