【参院選・激戦の裏側】野党求心力低下 旧民進分裂...敗因の一つ

 
公示日の水野氏の第一声会場。共闘する各党の代表者が水野氏の応援でマイクを握った=4日、福島市

 「前回と同じく野党共闘の形をつくったが、及ばなかった。再編が必要な状況に分散してしまったわれわれの力不足だ」。相手候補の当選確実が報じられた直後、水野さち子の選対本部長を務めた増子輝彦は、旧民進党の分裂を敗因の一つに挙げた。増子自らが野党統一候補として自民党の現職閣僚を破った前回参院選から3年。野党の求心力低下を実感した増子はさらなる政界再編の必要性に言及した。

 「野党共闘の源流は本県にある」。水野の選対幹部は公示前、2007(平成19)年4月の参院補選を例に挙げ、国政選挙での野党共闘の歴史を強調した。05年衆院選で議席を失った増子はこの補選に民主党公認、国民新党推薦、社民党支持を取り付けて勝利し、国政に復帰した。陣営は当初、こうした歴史を踏まえ、16年参院選、17年衆院選の福島1区に続く野党共闘での3連勝に自信を見せていた。

 しかし、17年衆院選などに端を発した民進の分裂に伴い、野党共闘の在り方は変化を強いられた。民進が国民民主、立憲民主、無所属に分かれた結果、連合福島の主導で選挙協力態勢を組む協議会の構成政党が増えた。「擁立後にしこりを残さず、一枚岩で戦えるよう丁寧に進めた」(立民県連幹事長高橋秀樹)。擁立作業は水面下で慎重に進められたが、作業を主導したい各党の思惑も絡み、水野が出馬を正式表明したのは当初目標の18年中を大きく過ぎた今年4月だった。

 さらに過去の2勝は実績と組織基盤のある現職が候補だったが、水野は初の国政選挙。名前の浸透が"至上命令"となった陣営は、共闘する共産党との距離を縮め、個人演説会や街頭演説で共産議員の露出を増やした。共産党県委員長の町田和史はこうした連携を「野党共闘の進化」と表現したが、他党幹部からは原発ゼロなどを巡るいくつかの政策について組織内や支持者から「踏み込み過ぎではないかと指摘された」との声も漏れた。

 また、陣営は安倍政権への不満から参院選の関心は高まると想定し、選対幹部の一人は「投票率が55%を超えれば水野、下回れば相手(が勝つ)」と見通したが、過去2番目に低い52.41%の投票率は最大の誤算だった。

 陣営から「無名の新人が34万票を取った。大同団結でよくやった」との声も上がる中、東北6県のうち本県と青森を除く4県では野党側が接戦を制した。ある野党幹部は今後の衆院選を見据え、参院選をこう総括した。「地方はうまくやっている。中央での(野党間)対立がなければ結果も違ったかもしれない」(文中敬称略)