小劇場ブームをけん引 戯曲家・演出家、鴻上尚史さんに聞く

1980年代の小劇場ブームをけん引した戯曲家・演出家、鴻上尚史さんが、初めての自伝的小説「愛媛県新居浜市上原一丁目三番地」(講談社)を出した。
(自伝的小説「愛媛県新居浜市上原一丁目三番地」)
鴻上さんは福島民友新聞社のインタビューに応じ、「住んでいる場所や年齢で、反応する部分が違う間口の広い小説集となった。高校時代の部分は、今日の同調圧力をほうふつとさせる部分もある。さまざまな人に読んでもらえれば」と話した。(小泉篤史)
―実家のある愛媛県新居浜市、青春時代を過ごした東京都新宿区の大学講堂裏、現在の住まいがある東京都杉並区をタイトルに入れ込んだ3編を一冊にまとめた。
「『愛媛県新居浜市―』では実家を出るまでと両親の死、『大隈講堂裏』では学生時代のことを書いた。そこまでで終わってしまうのは嫌だったので、今も人生は続いているとの意味を込めて『杉並区―』も入れた」
―これまで自身のプライベートなことはあまり書いてこなかった。執筆の動機は。
「両親が2年連続で亡くなり、実家に一人残ったときに、山のような思い出が押し寄せた。書いてみて、父親があの場所に家を建てたのは、(労働組合活動への締め上げで転勤を強いられていたことへの)抵抗だったことが分かった。母親の部屋がなかったのも初めて気付いた」
―高校時代にほかの学校の生徒会の協力を得て、校則一覧を学校新聞に載せようとしたエピソードも書いている。
「今も校則は旧態依然としていて、中学生らしいとか、高校生らしいという言葉が疑問もなく、流通しているみたいだ。例えば、こっちの学校ではストッキングはベージュしかだめ、向こうの学校では黒しかだめといったことを先生が言う。こうしたことが大人への信頼をこつこつと崩していく。新型コロナウイルスで、日本の同調圧力がすごく強くなった、凶暴化したと僕は言っているのだが、学校新聞のエピソードは、現在の状況をほうふつとさせる部分ではないか」
―「大隈講堂裏」は、劇団をつくり、軌道に乗せるまでの試行錯誤が描かれている。大学のシンボルである講堂の前に芝居を上演するテントを建てるなど、かなりのむちゃをしている。
「これは青春小説。若い人に反応してほしい。いい意味でも悪い意味でも、のんきな、いいかげんな時代があったっていうか。しんどいのはしんどかったのだけど、そこでワイワイと、いろいろできたのが幸せだった」
―一冊を通じて「何者かになりたい」という思いに何度も言及している。福島県の「何者かになりたい」若者にメッセージを。
「正直なところ、古里の新居浜市は本当に何でもない街だった。だからこそ、東京で歯を食いしばって芝居を続けたところがある。これが北海道とか、沖縄とか、誘惑の多い故郷だったら『もういいんじゃないの?』っていうふうに思ったかもしれない。これは東京じゃない場所、日本の田園風景が広がってるところで育ってきた人には理解できる感覚ではないか。俺たちの時代はもうとにかく東京に行くことが当たり前だった。どうしてとか言う前にも行くものだと思っていた。一方で、今は『地元でこのまま生活したいんです』っていう若い人が出てきている。一概にいいとも悪いとも言えない。地元にいても、その何者かにはなれると思うし、何者かになりたいとのたうち回ることもできると思う。みんながそれぞれに自分のいい場所を見つけてもらえると、いいなあと思う」
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こうかみ・しょうじ 1958年生まれ。早大卒。大学在学中に劇団「第三舞台」を旗揚げ、劇団「夢の遊眠社」を率いた野田秀樹さんとともに小劇場ブームの旗手となった。「スナフキンの手紙」で岸田国士戯曲賞。著書に「『空気』と『世間』」(講談社)、「同調圧力のトリセツ」(中野信子さんとの共著、小学館新書)など。