関東大震災を海外に発信「原町無線塔」紙芝居に

 
紙芝居を手に「原町無線塔の功績を知るきっかけになれば」と話す相沢さん。左は無線塔の100分の1模型

 南相馬市博物館の学芸員相沢桃子さん(35)は、関東大震災の被害を初めて海外に知らせた「原町無線塔」について地域の子どもたちに知ってもらおうと、紙芝居を制作した。相沢さんは「南相馬にかつて存在した無線塔や、その功績を知るきっかけになれば」と期待している。

 原町無線塔は、同市原町区に1921~82年に存在した磐城無線電信局原町送信所の主塔。高さは201メートルあった。23年の関東大震災時には、国内で唯一海外への無線通信が可能な施設として、大きな被害が発生していることを米国サンフランシスコに発信。そこから日本の被害状況が世界各地で報じられ、支援の輪が広がったとされる。

 相沢さんは、ほかの学芸員や市立図書館職員の助言を受けながら、制作に取り組んだ。震災直後、磐城無線電信局の米村嘉一郎局長が米国に無線で被害を伝える様子などを描いた。相沢さんは「無線塔からの速やかな発信があったから、人々の命を救うことができた」と功績を伝える意味を語る。

 紙芝居は小学校低学年の児童を対象とした。「簡単な言葉を使い、飽きないように5分程度の内容にした」と相沢さん。紙芝居には、無線塔の完成を祝うパーティーでバナナの食べ方を知らず、皮ごと食べた人がいたエピソードなども盛り込んだ。

 制作を手伝った学芸員の二上文彦さん(50)は「東日本大震災の時に国内外から支援をもらったように、100年前にも同じ思いで支援してくれる人がいた。紙芝居を通じて『助けあう心』が伝われば」と願う。

 紙芝居は市博物館で読むことができ、イベントなどで披露される予定という。

原町無線塔街のシンボルだった原町無線塔(昭和50年代に撮影、南相馬市博物館提供)