渡辺利綱大熊町長が退任へ 震災・原発事故で避難対応陣頭指揮

 
退任の意向を表明し、報道陣の取材に応じる渡辺町長=11日午前

 東京電力福島第1原発が立地し、原発事故による避難指示が4月に一部地域で解除された大熊町の渡辺利綱町長(72)=3期=が11日、任期満了に伴う11月の町長選に出馬せず、退任する意向を町議会本会議で表明した。

 渡辺氏は一般質問で進退を問われ、「熟慮の結果、次回の町長選には立候補しないことにした。若い後継者に復興のバトンを託したい」と語った。

 渡辺氏は宮城県農業短大卒。町議を4期務めた後、2007(平成19)年の町長選に立候補し、無投票で初当選。1期目途中で震災と原発事故が発生し避難対応で陣頭指揮を執ったほか本県の早期復興に向け、県内の除染で出た汚染土壌などを保管する中間貯蔵施設の町内への建設受け入れを決断した。4月には町内の大川原・中屋敷の2地区で避難指示が解除され、5月には役場機能を避難先の会津若松市から町内に戻した。

 原発事故により国の避難指示が出た11市町村で、震災当時から首長を務めているのは飯舘村の菅野典雄村長(72)と川内村の遠藤雄幸村長(64)の2人だけになる。

 復興前進...節目の決断「長いようで短い8年6カ月」

 東日本大震災の発生から8年6カ月を迎えた11日、東京電力福島第1原発事故による避難指示が4月に一部地域で解除された大熊町の渡辺利綱町長(72)が退任する意向を表明した。避難指示解除と役場機能の町内帰還、災害公営住宅の入居開始。町の復興が新たな一歩を踏み出した節目の年を、退任のタイミングに選んだ。

 渡辺氏は2007(平成19)年に町長に初当選し、1期目途中の11年に震災、原発事故が発生した。町全域に避難指示が出た後は、町民と共に会津若松市に避難して役場機能を移転。今年4月に第1原発が立地する自治体として初めて避難指示が解除されると、5月には町再生の最前線基地となる役場機能を同市から町内の新庁舎に移した。

 進退を明らかにした11日の町議会本会議一般質問。渡辺氏は「年齢による体力の衰えが、気力の衰えにつながる」と述べた。議会終了後の報道陣の取材でも「体力の衰えと気力の衰えが一番の理由。自覚症状が出ており、これ以上続ければ周りに迷惑を掛けると思った」と決断に至った胸の内を明かした。

 復興に向け、陣頭指揮を執り続けた渡辺氏。震災後の日々を「長いようで短い8年6カ月だった。一つ一つの思い出を振り返るとたくさんあるが、中間貯蔵施設の受け入れは一番大きな出来事だった」と振り返る。

 「一つの課題を解決すると、次の問題が出てくる」という復興への道のりを、渡辺氏は「ゴールのない長距離走」と例えた。任期は11月19日まで。「やり残したことはたくさんある。残された期間、町の復興のために頑張っていきたい」。