「困った時はお互いさま」昼夜問わず家電修理 震度6強地震1年

 
「古里のような鹿島区のために少しでも力になりたい」と話す江袋さん=南相馬市

 本県沖を震源に最大震度6強を観測し、県内各地で大きな被害が出た昨年3月の地震から16日で1年となった。復旧が進む南相馬市鹿島区では自然災害からの再起に向け、市民が奮闘している。

 「またか」。隆起したマンホール、崩れ落ちた屋根瓦―。昨年3月、前年の2月に続いて2年連続で起きた地震に、家電小売りや電気工事を行う同市鹿島区の西町電化センター社長の江袋大輔さん(40)は頭を抱えた。

 店舗は販売する電化製品が落下したり、書類が倒れたりはしたものの被害は最小限で済んだ。ただ震度6強を観測した同市鹿島区内の被害は甚大だった。被害を前に、江袋さんの頭に最初に思い浮かんだのは「家電を届けた客のこと」だった。翌日には「家電が倒れた」「テレビが映らない」など、地域住民の来店や電話が相次いだ。悪天候の予報も重なり、雨漏りなどで電化製品が水にぬれれば漏電で火災になる恐れがあった。電気関係の修理や倒れた家電を起こす手伝いなど、昼夜を問わず対応した。

 「困った時はお互いさま。できる限り相談に応えようという一念だった」と振り返る江袋さん。元々は山形県出身で、宮城県で会社員をしていたが、ライフラインが寸断された11年の東日本大震災を機に「生活の根本を支える仕事で人の役に立ちたい」と妻の実家の家業を継いだ。現在は地元の鹿島商工会青年部長や常磐道南相馬鹿島サービスエリア周辺の魅力向上を目指す「南相馬市プロジェクト研究」の研究員として地域活性化のためにも活動している。

 「山形では地元への貢献が思うようにできなかった。だからこそ古里のような鹿島区のために、少しでも力になりたい」。多発する自然災害が暗い影を落とす中、自身の活動を通して地域を明るく照らすつもりだ。