【復興の道標・自立-6】漁師「賠償の方が安定」 本格操業再開後の将来不安

「魚を買いたたかれるぐらいなら賠償金をもらっている方が生活は安定すんだべな」。浜通りに住む漁師の男性(85)が漏らす言葉に、本格的な操業再開が不明確な中で、将来の生活設計が立てられない漁業者の不安が垣間見える。
東京電力福島第1原発事故後、県内の漁業者は東電から売り上げ減少額や実損額などに応じて賠償金を受け取っている。ただ、賠償がいつまで続くか見通せない中、本格操業再開後、全国の市場にこれまで通り受け入れられるかは不透明だ。
師走を迎えた小名浜漁港。震災前なら正月料理に使われる魚介類の漁獲でにぎわった港は、閑散としたままだ。「本格操業ができれば一番いいとはみんな言うが...」。男性の脳裏には、本格操業再開後も震災前の状況には戻らないという将来が見え隠れする。「常磐ものは自分たちが誇りにしていたもの」。値が下がるのを見るのは忍びない。男性は操業再開後について自問自答を繰り返すが、結論はいつも否定的になってしまう。
「自分の息子2人はサラリーマン。漁業は1代で終わり」。男性は自身の船を流されながらも親戚を手伝う形で試験操業に参加しているが、自分の代でその生業(なりわい)を終えるつもりだ。
農業で「切り開く」
県内の小規模漁業者には漁業だけでは生計を立てることができず、農業と合わせた「半農半漁」の営みを続けてきた人たちもいる。「再開しても魚から基準値を超える放射性物質が検出されたら、その時点で操業はまたストップする。漁師はそこで失業だ」。震災前までホッキ漁と稲作の両面で生活を支えてきた相馬市磯部の唯野哲夫(67)は思いを語る。
唯野は被災直後に磯部地区復興組合を仲間の漁業者らと共に設立。組合長として国の補助金を受けながら地元の田畑のがれき撤去に汗を流してきた。
津波で漁船と田んぼを流された唯野は、操業再開の見通しの立たない漁業を諦めた。唯野は、第1原発から半径20キロ圏外のため、1人当たり月額10万円の精神的損害賠償は受け取っていない。「漁業でも農業でも、何でもいいから食わなければ」
唯野は4月、仲間と農事組合「グリーンファーム磯部」をつくった。がれきを撤去した田んぼなど約22ヘクタールに作付けして収穫、農協への出荷を終えた。設備投資に伴う借入金の返済や風評被害など不安は尽きない。しかし、決して来た道を振り返らない。「俺たちは賠償は当てにできない。だから、自分で切り開く」 (文中敬称略)
(2015年12月4日付掲載)
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