【復興の道標・自立-7】再開事業者、募る焦り 抱える課題はさまざま

「いったん空白になった地域を元に戻すのは、とても難しい」。東京電力福島第1原発から西に約21キロ。田村市都路町にある遠藤理容室の3代目店主遠藤富寿(67)は身をもって感じている。
2011(平成23)年9月まで、緊急時避難準備区域に指定されていた都路地区。遠藤は避難先から通う形で同年から店を再開させたが、事故から5年目の今も、客足は少ないままだ。指定解除後も、避難先から全ての住民が戻っているわけではない。「賠償がなくなれば、経営が立ちゆかなくなるのでは」と感じている。
「遠藤さんとこは、後継者がいて良(い)いない」。原発事故前は地元の事業者仲間からうらやましがられたが、今は息子が店を継いでくれることが心配の種となった。
「『じいちゃんが何もしなかったから、都路がなくなっちゃった』と後の世代に言われないよう、あしたにつながることがしたい」。展望が開けなくても、地域のために仕事は続けようと思っている。「状況が一変する『ウルトラC』なんてないが」
原発事故による避難を経て、以前の仕事を再開させた事業者たちもいる。焦りを募らせつつ自立へもがく。抱える課題はさまざまだ。
事業再開支援のため8月に発足した福島相双復興官民合同チームの事務局長角野然生(なりお)(51)は、チームの担当者が訪問した事業者数が11月末で2千件を超えたことを受け、こう語った。「2千通りの悩みがあった。その人に合った形の支援を考えていく必要がある」
再起へ今が勝負の時
釉薬(うわぐすり)の原料が入った瓶が数多く並ぶ一室。浪江町から避難した大堀相馬焼窯元16代目の志賀喜宏(55)は昨年5月、国や県の補助金を利用して郡山市に工房を構えた。
「伝統工芸品としての大堀相馬焼は、もうなくなった」。そう考え、新しい陶器を生み出そうと粘土や釉薬の研究に日夜取り組んだ。新商品は、郡山の地名をとって「あさか野焼」と名付けた。11月下旬、工房で発表展示会を開いた。
会場には、植物をあしらった都会的なデザインの作品が並んだ。新天地での再スタート。これからは地域の伝統の後ろ盾なしで顧客を獲得していかなくてはならない。
「今は賠償金で食いつないでいる状態」。だからこそ、再起に向けた勝負の時だと考えている。「リスクあることができるのは、賠償金をもらっている今だけ。本当にお金がなくなったら、何もできなくなる」(文中敬称略)
(2015年12月5日付掲載)
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